4月3日 インゲン豆の日
1673(延宝元)年のこの日、インゲン豆を中国から持ってきたとされる隠元禅師が亡くなりました。隠元禅師は1592(文禄元)年に中国の福建省で生まれました。長崎の興福寺に招かれて来日した際、インゲン豆を禅の普茶料理(精進料理)の材料として普及させました。
記念日アニメ
豆に関する昔話
(日本昔話)
そら豆の黒い筋
福娘童話集より
むかしむかし、おばあさんがそら豆を煮(に)ようと思いました。
なべに入れるとき、そら豆が一粒はずんで落ちて、コロコロコロと、庭のすみへころがっていきました。
おばあさんが、たきつけのワラを持ってくると、風がサーッと吹いてきて、ワラを一本、庭のすみへ飛ばしました。
おばあさんが、火をたきつけて仕事をしていると、まっ赤になった炭が一つ下へ落ちて、カランカランカランと、これも庭のすみっこへころがっていきました。
庭のすみっこで、そら豆とワラと炭が、顔をあわせました。
そら豆がいいました。
「ワラさん、炭さん、わたしたちが、ここで出会ったのも何かのえん、これからひとつ、お伊勢参り(おいせまいり)にいきませんか?」
「そりゃ、いいね」
「うんうん、さっそく出かけよう」
と、いうことになって、そら豆とワラと炭は、そろって出かけました。
みんなは川の所まできましたが、この川には橋がありません。
橋がなければ、川を渡れません。
すると、ワラがいいました。
「わたしが橋になるよ。そら豆さん、炭さん、渡りなさい」
「それは、ありがたい」
そら豆が渡ろうとすると、炭がおこって、
「わたしが先に渡る。そら豆さんはあとにしろ!」
そら豆は、ムッとして、
「いや、わたしが先だよ!」
「なに、わたしが先だ!」
炭は、そら豆をポンとつき飛ばして、先にワラの橋をわたりかけました。
ところが半分まで渡ったとき、川の流れを見たものだから、急にこわくなって動けません。
「炭さんどうした? 早く渡れよ」
そら豆がせきたてても、炭はこわくて動けません。
そのうちに、炭のねつでワラが燃えだして、炭とワラはボチャンと川に落ちてしまいました。
それを見て、そら豆は大笑いです。
「アハハハハハッ、わたしをつき飛ばして先にわたったからだよ。アハハハハハッ、アハハハハハッ・・・」
あんまり笑いすぎたので、そら豆のおなかは、パチンと、はじけてしまいました。
「あっ! ・・・こまったな。こんなかっこうじゃ、みっともなくて、どこへもいけないよ。どうしょう」
そら豆が泣いていると、仕立屋(したてや)さんが通りかかりました。
「おやおや、どうしたね、そら豆さん」
「あんまり笑いすぎて、おなかが破けたんだよ」
「そりゃ、気のどくに。どれどれ、わたしは仕立屋(したてや→さいほう屋)だ。やぶけたおなかをぬってあげよう」
「よろしく頼みます」
そこで、仕立屋は針と糸を取り出して、そら豆のおなかを、チクチクチク、チクチクチクと、ぬいました。
ところが、あいにくミドリ色の糸をきらしていたので、黒い糸でぬったのです。
そら豆に黒い筋ができたのは、そのときからだそうです。
おしまい
他の記念日
日本橋開通記念日
1911(明治44)年、東京の日本橋が木橋から石橋に架け替えられました。
日本橋は、江戸時代から現在まで日本の道路交通の中心となっています。橋の中央に、国道の起点となる「日本国道路元標」が設置されています。
清水寺・みずの日
京都市の清水寺を始めとする全国の「清水寺」で作る「全国清水寺ネットワーク」が1998(平成10)年に制定。
「し(4)み(3)ず」(清水)の語呂合せ。
京都市の清水寺で、水と環境に感謝する「心と地球の浄化祈願祭」が行われます。
シーサーの日
「シー(4)サー(3)」の語呂合せ。
ペルー日本友好の日
ペルー政府が1989(平成元)年8月20日に制定。
1899年、日本人移民790人が佐倉丸でペルーのアンコン港に上陸しました。
愛林日
1934(昭和9)年から実施。
1895(明治28)年に来日したノースロップ博士が講演で「愛林日(Arbor Day)」の精神を説き、1898(明治31)年、本多静六林学博士の提唱により神武天皇祭の4月3日が「植栽日」となりました。1933(昭和8)年に大日本山林会会長・和田国次郎、農林次官・石黒忠篤らにより、4月2日から4日までの3日間を「愛林日」として、全国一斉に愛林行事を催すことが提唱され、翌年、日本初の中央植樹行事が茨城県の「鬼が作国有林」で行われました。この中央植樹行事は現在「全国植樹祭」となっています。
悪天の特異日
天気が悪くなる確率の高い日。
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