| 
     | 
      | 
     
        6年生の日本昔話 
          
          
         
もち屋の禅問答(ぜんもんどう) 
      
       むかしむかし、あるところに、とても大きなお寺がありました。 
   寺はとてもりっぱですが、こまったことに、この寺の和尚(おしょう)ときたら、べんきょうがきらいな上に、もの知らずです。 
   さて、ある日のこと。  
   ひとりの旅の坊(ぼう)さんが、やってきて、  
  「それがし、禅問答(ぜんもんどう)をいたそうとぞんじて、まかりこしたが、寺の和尚(おしょう)どのはおられるかな」 
  と、ちょうどげんかんのそうじをしていた、この寺の和尚(おしょう)さんにたずねたのです。 
   さあ、問答(もんどう)ときいて、和尚(おしょう)さんはビックリしました。  
   あいては、仁王(におう)さまのような大男。  
   どうやら、あちこちの寺をまわり歩いては問答をしかけ、一度も負けたことはござらぬという顔です。  
  (こりゃあ、えらいことになったわい。いったい、どうしたもんじゃ。・・・そうじゃ。もち屋の六助(ろくすけ)がよい) 
  と、思いつきいて、ともかく、旅の僧(そう)を本堂に案内して、 
  「和尚(おしょう)さまは、ただいま、おるすにございますが、近くにまいっておられますので、さっそくよんでまいりましょう」 
   いいおわると、ころげるようにとんできたのが、もち屋の六助の家です。  
  「六助どの。たったいま、これこれ、しかじか、こういうわけで。ぜひ、わしの身がわりになって、問答をやってくだされ」 
  と、両手をあわせて、たのみました。 
   日ごろから、信心(しんじん→神仏を思う気持ち)ぶかいもち屋の六助は、  
  「へえ、和尚(おしょう)さまのおためなら」 
  と、ひきうけました。 
   六助は和尚(おしょう)さんの部屋できがえると、しずしずと本堂に入って、旅の僧(そう)とむかいあいました。  
   和尚(おしょう)さんが、かくれてようすを見ていますと、さっそく、もち屋と旅の僧(そう)の問答がはじまりました。  
  「白扇(はくせん)さかしまにかかる東海(とうかい)の天」 
   旅の坊(ぼう)さんが、口をひらきました。  
   雪をいただいた富士山(ふじさん)が、白い扇(おうぎ)を、さかさまにかけたように海にうつっているが、そのながめはいかに?  
  と、聞いたのですが、わけのわからないもち屋の六助は、うんともすんともいいません。 
   すると、旅の僧(そう)が、  
  「和尚(おしょう)どのは、無言(むごん)の行(ぎょう)でおわすか」 
  と、ききました。 
   六助は、それにもこたえません。  
   ふたりの間で、無言の行がはじまりました。  
   しばらくして旅の僧(そう)が、右手をあげ、人さし指と親指とで、小さな輪をつくれば、六助はそれを見て、両手をあげて大きな輪(わ)をつくりました。  
   すると旅の僧(そう)は、おそれいったというようすで、ていねいに頭をさげます。  
   そして今度は、人さし指を一本つき出して見せました。  
   六助はすばやく、五本の指をパッと開きます。  
   旅の僧(そう)は、また、ていねいに頭をさげました。  
   今度は三本の指を、高くさしあげました。  
   するとそれを見た六助は、アカンベエをしたのです。  
   それを見た旅の僧(そう)は、あわてて両手をついて、  
  「ははーっ」 
  と、頭をたたみにすりつけると、逃(に)げるようにして寺から出ていきました。 
   和尚(おしょう)さんは、ホッと胸(むね)をなでおろしました。  
   それにしても、今の問答は、なんともわけがわかりません。  
   そこで和尚(おしょう)は、小僧(こぞう)をよんで、  
  「おまえ、いまの僧(そう)がとまっておる宿(やど)ヘいって、わけをきいてこい」 
  と、いいつけました。 
   宿にやってきた寺の小僧(こぞう)さんを前にして、旅の僧(そう)は冷や汗(ひやあせ)をふきながらいいました。  
  「いやはや、わしも天下の寺でらを歩いて、問答をいたしたが、今日ほど、えらいめにおうたことはない。まずわしが、このように輪をつくって、『太陽は、いかに?』と、問いかけたのじゃ。すると和尚(おしょう)どのは、『世界を照らす!』と、大きな輪をつくって見せてくだされた。次に、『仏法は、いかに?』と、人さし指をさし出すと、パッと五本の指を出され、『五界を照らす!』と、こたえなさる。負けてはならじと、三本の指を出して、『三仏身(さんぶつしん)は、これいかに?』と、問いもうした。すると和尚(おしょう)どのは、『目の下にあり』と、こたえなされたのじゃ」 
   そこまでいうと、旅の僧(そう)は、しみじみと小僧(こぞう)さんの顔を見て、  
  「おまえさんはまだ年が若(わか)いで知るまいが、三仏身とは、すなわち法身(ほっしん)・報身(ほうしん)・応身(おうしん)のご三体で、ほっしんとは宇宙(うちゅう)の法理であって、光明かがやく仏さま。ほうしんとは、世のもろもろの悪を清め、われわれ人間はじめ、すべての生物をおすくいなさる阿弥陀如来(あみだにょらい)さま。おうしんとは、ときに応じて、われわれをみちびくために、あらわれなさるお方、いわばお釈迦(しゃか)さまじゃ。このもったいないお三方が、和尚(おしょう)どのの目下にあるとは、ああ、なんと、なんと」 
   旅の僧(そう)はなみだぐんで、小僧(こぞう)さんの前に手をつくと、  
  「まことに、まことに、あのようなお方にお目にかかるばかりか、問答などをいたしまして、いやはや、面目(めんもく)しだいもございませぬ」 
  と、わびるようにいいました。 
   小僧(こぞう)さんは、  
  (ヒェー! あのもち屋の六助さんが) 
  と、ビックリして寺ヘ帰ってきました。 
   すると、これはまたどうしたことか、六助さんは和尚(おしょう)さんを前にして、カンカンにおこっています。  
   小僧(こぞう)は、六助さんの前に手をついて、ていねいに、  
  「もし、もし。六助さま。いったい、どうなさいました?」 
  と、たずねれば、もち屋の六助は、 
  「なさいましたも、クソもないもんだ。えーい、わしゃ、この年までいろんな人におうてきたが、今日の坊主(ぼうず)ほど、ずうずうしいやつにおうたことはないわい」 
  「・・・?」 
  「あのクソ坊主(ぼうず)め。手まねで小さな輪をつくって、『おまえのもちは、これくらいか?』と、ききおった。わしは、腹(はら)がたってこんちくしょうとばかり、両手で、でっかいやつをつくって見せたわい。すると今度は、人さし指をさし出して、『それはいくらか?』ときく。わしが、『五厘(5りん)じゃ!』と、五本の指を出せば、坊主(ぼうず)め、三本の指を出しおって、『三厘(3りん)にまけろ』と、ぬかしおった。あんまり腹(はら)がたったもんで、わしゃアカンベエをしてやったわい」 
  と、いったのです。 
      おしまい         
         
         
        
       
     | 
      | 
     |