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        2年生の日本民話(にほんみんわ) 
          
          
         
タマゴから生まれたお坊(ぼう)さん 
大阪府(おおさかふ)の民話(みんわ) 
       むかしむかし、行基(ぎょうき)という、えらいお坊(ぼう)さんがいました。 
   行基(ぎょうき)は生まれ故郷(こきょう)である、大阪(おおさか)やその近(ちか)くで、弟子(でし)やたくさんの信者(しんじゃ)たちと一緒(いっしょ)に、橋(はし)や道(みち)などをなおしました。 
   また、まずしい人たちのために、無料(むりょう)の宿泊所(しゅくはくじょ)をつくり、その数(かず)だけでも三十にのぼったといいます。 
   多(おお)くの人たちのしあわせと、世の中(よのなか)のためにつくした行基(ぎょうき)は、五十七歳(57さい)になった天平十七年(てんぴょう17ねん)(七四五年)、お坊(ぼう)さんで一番(いちばん)高(たか)い位(くらい)の、大僧正(だいそうじょう)をさずけられました。 
   橋(はし)などがこわれて、人々がこまっているときくと、すぐにそこへでかけていって、修理(しゅうり)をします。 
   行基(ぎょうき)がいくところ、いつも千人もの信者(しんじゃ)たちがあとにつづいて、工事(こうじ)を手伝(てつだ)っていたといわれています。 
   さて、行基(ぎょうき)がふるさとに帰(かえ)ったときの事(こと)です。 
   池(いけ)で魚(さかな)をとって食(た)べていた若者(わかもの)たちが、 
  「お坊(ぼう)さんというのは、生の魚(さかな)を食(た)べないものだというが、どうだ。ためしてみよう」 
  と、イタズラを思(おも)いたちました。 
   そして行基(ぎょうき)に、魚(さかな)をうすぎりにしてお酢(す)につけたなますをつくって、すすめました。 
   行基(ぎょうき)はいただいて、お礼(れい)をいうと、そのなますを口にいれてかんでから、すぐにかたわらの池(いけ)へいってはきだしました。 
   するとなますは、たくさんの小さな魚(さかな)になって、水の中を泳(およ)ぎだしたのです。 
   ビックリした若者(わかもの)たちは、自分(じぶん)たちがしたイタズラをはずかしく思(おも)い、行基(ぎょうき)に心(こころ)からあやまったのでした。 
   さて、この行基(ぎょうき)というお坊(ぼう)さんは、ふつうの赤ちゃんよりも二か月も長(なが)く、お母(かあ)さんのおなかにいて、やっと生まれたといわれます。 
   それと不思議(ふしぎ)な事(こと)に、生まれるときに、お母(かあ)さんのおなかの中からでてきたのは、なんと丸(まる)いタマゴだったのです。 
   両親(りょうしん)はおどろきましたが、かといって、そのタマゴをすてるわけにもいかず、鉢(はち)にいれて家(いえ)の門(もん)の前(まえ)にある、エノキの木の枝(えだ)につるしておきました。 
   そして夕方(ゆうがた)になると、そのタマゴから赤ちゃんの泣き声(なきごえ)がきこえてきたのです。 
   両親(りょうしん)が、赤ちゃんを家(いえ)の前(まえ)にすてていった人がいるのかと思(おも)って、いそいでいってみると、木の枝(えだ)につるした鉢(はち)の中の卵(たまご)がわれて、男の赤ちゃんが生まれていたという事(こと)です。 
      おしまい 
        
       
         
         
        
      
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