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井戸から聞こえる悲鳴
井戸から聞こえる悲鳴
百物語
オリジナル版
むかしむかし、羽後の国(うごのくに→秋田県)の大館(おおだて)に、長山武太夫(ながやまぶだいゆう)という剣の名人がいました。
その名は国中に知れ渡り、武太夫の道場には、全国から入門を願い出る者が大勢集まってきました。
武太夫は気立ての良い奥さんと数多い弟子に囲まれて、とても幸せでした。
ところが武太夫にはひとつだけ、人に言えない悩みがありました。
それは、一人娘のみさおが生まれて一年もたつというのに、泣きもしなければ笑いもしないのです。
あちこちの医者や占い師にも見てもらいましたが、どうして声を出さないのか、さっぱりわかりません。
それでもみさおは病気ひとつせずに、すくすくと育っていきました。
さて、みさおが二歳になった春の日の事。
女中のお松が暖かい庭先で、みさおをおぶって子守りをしていました。
庭のすみには大きくて深い井戸があり、水面はいつも鏡のように澄んでいます。
お松も年頃の娘なので、ときどき井戸に自分の姿を写しては、身だしなみを整えたりしていました。
今日もお松は、みさおをおぶったまま井戸をのぞきました。
するとそこには、若い娘の顔がありました。
色が白くて目が大きく、とても美しい顔です。
「きれい。まるで、わたしの顔じゃないみたい」
お松はうれしくなって笑いかけると、水面の顔も笑います。
それを何度か繰り返しているうちに、背中のみさおが『くすっ』と笑ったのです。
「おや? みさおさまが、声を出したぞ」
お松は、もう一度みさおを笑わせようとして、井戸の上に身を乗り出すと、
「ほれほれ、みさおさま、ばあーっ」
と、肩をゆすったとたん、みさおがするりと井戸の中へ落ちたのです。
「しまった!」
あわてて助けようとしましたが、お松の力ではどうする事も出来ません。
「誰かー! 誰か来てー!」
お松の悲鳴を聞きつけ、武大夫や弟子たちが庭へ飛び出して来ました。
「どうした!」
「み、み、みさおさまが・・・」
お松は震える手で、井戸の中を指差しました。
すぐに弟子の一人が井戸に飛び込み、水の底に沈んでいたみさおを助けあげました。
「水を吐かせろ!」
「体を温めろ!」
みんなは必死でみさおを介抱しましたが、駄目でした。
武太夫と奥さんは冷たくなったみさおにとりすがって、声をあげて泣きました。
あまりの出来事に、お松はぽかんとつっ立っています。
やがて立ちあがった武太夫は、すさまじい顔でお松をにらみつけると、
「お松、よくも大切な娘を殺してくれたな!」
と、言うなり、お松の顔を力いっぱい殴りつけました。
「許してください! 許してください!」
でも武太夫の怒りはおさまらず、お松を引きずり起こすと井戸の中へ突き落とし、近くにあった大きな石を持ち上げて、お松の上へ力いっぱい投げ込んだのです。
「ぎゃあーっ!」
お松の悲鳴が、井戸の中からわきおこりました。
それには弟子たちも驚き、
「先生、このままではお松が死んでしまいます」
と、言いましたが、武太夫は、
「かまわん、ほっておけ!」
と、言ったきり、みさおを抱き上げて部屋に閉じこもってしまいました。
「お松を、はやくお松を助けるんだ!」
弟子たちが急いでお松を引きあげましたが、お松は血まみれになって死んでいたのです。
そんな事があってから、この道場に、おかしな出来事が起こる様になったのです。
夜中に、井戸の中から、
「ぎゃあーっ!」
と、言う悲鳴が聞こえて来たかと思うと、急に明かりが消えて、部屋の中に血だらけのお松が現れ、武太夫の顔を見て笑いかけるのです。
「おのれ、まださまようているのか!」
武太夫が刀で切りつけましたが、まるで手ごたえがありません。
いかに剣の名人でも、幽霊を切る事は出来ませんでした。
怖くなった弟子たちは、みんな道場を出て行ってしまいました。
そしてある晩、武太夫の屋敷が火事になり、武太夫も奥さんも召使いも一人残らず焼け死んでしまったのです。
今でもこの屋敷の跡には、お松の霊をなぐさめる小さな地蔵がたてられています。
そしてそばにある大きな石は、井戸から引きあげた物だという事です。
おしまい
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作者 :つれづれ居士
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