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9月21日の小話
ごゆっくり
   あるとき、山のおくのいなかから、おきゃくがきて、とまることになりました。
   あるじは家のものに、風呂を用意させ、おきゃくに風呂をすすめました。
   おきゃくは、よその家で風呂に入るのは、初めてです。
  「では、おさきにいただきます」
  「どうぞ、ごゆっくり」
   ところが、おきゃくは、ふろばに入ってから、小一じかんたっても、出てきません。
   あるじは心配になって、ふろばの入口まで足を運びました。
   中からおゆをつかっているおとがします。
   よほど、風呂のすきなおきゃくとみえます。
   そのおきゃくに、
  「はやくあがりなさい」
  と、いうのも悪いので、あるじは、声をかけました。
  「どうぞ、ごゆっくり」
   すると、おきゃくはおきゃくで、風呂というものは、「ゆっくり入っていないと、悪いのではないか」と、かんちがいして、
  「へい、ゆっくりと、いただきますだ」
  と、こたえました。
   あるじは、おきゃくのへんじに、ひとまず安心して、ざしきにもどりました。
   けれどまた、しばらくたっても、おきゃくはふろからあがりません。
   あるじはふたたび、ふろばに足を運んで、
  「どうぞ、ごゆっくり」
  と、声をかけました。
   おきゃくはそれをまにうけて、
  「へい、ゆっくりいただいておりますだ」
  と、こたえ、なおもしんぼうをかさねました。
   あるじがまた安心して、ざしきにもどると、しばらくして、おきゃくがエビのように赤くなって、風呂から出てきました。
   足もとがふらついています。
  「風呂はごちそうというが、ごゆっくり、ごゆっくりと、むりじいさせられるのは、なんともつらいもんじゃ。ふーっ、もうだめだ」
 ばったり、たおれてしまいました。
おしまい