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第 282話
比良の八荒
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琵琶湖では、琵琶湖の西岸のある比良山地(ひらさんち)から強い風が吹いてきます。
特に春先の三月下旬に吹く強風を『比良八荒(ひらはっこう)』と呼ぶそうですが、これはその比良八荒にまつわる悲しいお話です。
むかしむかし、琵琶湖に近い比良の山で、たくさんのお坊さんが修行をしていました。
ある日の事、一人の若い坊さんが病気になったのですが、そのお坊さんは修行が大事と無理をして湖の対岸の村々で托鉢(たくはつ)を続け、木の浜の村と言うところに来た時、とうとう意識を失って倒れてしまいました。
そこを通りかかった村娘のお光が、倒れているお坊さんを見つけて自分の家に運び込んだのです。
お坊さんの高熱は何日も続きましたが、お光の手厚い看病のおかげで日に日に良くなっていきました。
その、お光とお坊さんの間に、恋心が生まれたのです。
歩けるまでに回復したお坊さんが、お光に言いました。
「長い間、ごやっかいになりました。おかげで病もすっかり良くなりましたので、これから比良の寺に戻ります。あなたに受けたこのご恩は、決して忘れません」
お坊さんの言葉に、お光の目から涙があふれました。
「嫌です。このまま、お別れしたくはありません」
「・・・・・・」
お坊さんの本心も、お光と同じでした。
お光を選ぶか、修行を選ぶか、お坊さんは迷いに迷った末に言いました。
「わたしは比良に帰って、堅田(かただ)の満月寺にこもって百日の修行を行います。その百日の間、湖を渡って毎夜、わたしのもとへ通い続ける事が出来たなら、わたしはあなたと夫婦になりましょう」
「わかりました。必ず百日の間、通い続けます」
こうしてお光は、毎夜、タライ舟をこいで湖を渡ったのです。
月の明るい夜は、まだよいのですが、月の無い夜の湖はとても暗くてどこを進んでいるのかわかりません。
月の無い夜は、湖上に突き出た満月寺の浮見(うきみ)堂の小さな灯りだけが頼りでした。
お光はがんばって満月寺にたどり着くと、修行を続けるお坊さんの後ろ姿をそっと拝んで、また暗い湖を帰って行くのでした。
雨の日も、風の日も、雪の日も、お光りは毎晩タライ舟をこいでやってきました。
始めのうちはうれしく思っていたお坊さんも、そのうちに、だんだんと恐ろしくなってきました。
暗い湖をたった一人でタライ舟をこいで、毎日欠かさず通うのは大変な事です。
きびしい修行を続けるお坊さんでも、簡単には出来ないでしょう。
それをかよわい娘が、毎晩やり続けるのです。
お坊さんは、お光に鬼が取り憑いているのではないかと思い始めました。
とうとう、百日目がやってきました。
今までにお光は何度も湖に落ちて、命を落としかけた事もあります。
それでもお光は、ついにやり遂げたのです。
「今日が、約束の百日目! あともう少しで、あの人のお嫁さんになれるのだわ!」
しかし一方で、お坊さんはこう思いました。
「ついに、今日で百日目か。やはりあの女、鬼に違いない。・・・さいわい今日は、月の無い夜」
そこでお坊さんは、目印の浮見堂の灯りを消してしまったのです。
灯りが急に消えたので、お光はどこへ向かって舟をこいでいいのかわかりません。
「どうしよう。・・・いいえ、大丈夫。あの人が、きっと助けに来てくれるはず」
お光は、お坊さんが再び灯りをつけて自分を迎えに来てくれると信じていましたが、お坊さんは灯りをつけようとはしません。
そのうちに比良山地から強い風が吹いてきて、お光の乗る小さなタライ舟は湖に飲み込まれてしまいました。
「お坊さま――!」
お光は最後に一声さけぶと、そのまま湖底へと沈んでしまったのです。
それは春が近い、三月末の事でした。
それからというもの、毎年三月下旬になると比良山地から強い風が吹き、湖が荒れるようになったのです。
悲しい出来事を知った人々は、お光の怨みで風が吹くのだと言い伝えたそうです。
おしまい
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