1月13日の日本の昔話
二人の甚五郎
むかし、飛騨(ひだ→岐阜県)の山おくに、佐吉(さきち)という、彫り物のとてもじょうずな男がすんでいました。
あるとき、佐吉はうでだめしをしようと、旅に出かけました。
ところが、尾張(おわり→愛知県)の国まできたときには、持っていたお金をすっかり使いはたしてしまいました。
宿(やど→詳細)の支払いにもこまった佐吉は、宿の主人になにか彫り物をさせてほしいとたのみました。
「よし、それじゃ、宿代のかわりに、なにか彫っておくんなさい」
主人がゆるしてくれたので、佐吉はさっそく彫りはじめました。
よく朝、佐吉はみごとな大黒さまを、宿の主人に差し出しました。
「これはみごと! こんなすばらしい大黒さまは見たことがない。これは、家の家宝にさせていただきます」
大喜びする宿の主人に、佐吉は申し訳なさそうに。
「彫る木が手元になかったもので、このへやの大黒柱(だいこくばしら)をくりぬいて使わせてもらいました。おゆるしください」
「・・・?」
宿の主人が大黒柱を調べてみましたが、きずひとつ見当たりません。
「はて、この大黒柱でしょうか?」
「はい。これです」
そういって、佐吉がポンと手をたたくと、カタンと、柱の木がはずれました。
なるほど、たしかに中は空洞です。
すっかり感心した宿の主人は、佐吉のことを、そのころ日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の造営(ぞうえい→建物を建築すること)にたずさわっていた彫り物名人、左甚五郎(ひだりじんごろう→詳細)に知らせました。
甚五郎は、さっそく佐吉をよびよせ、
「おまえのとくいなものを見せてくれ」
と、いいました。
そこで佐吉が彫ったのは、いまにも動きだしそうな、みごとな仁王(におう)さまです。
甚五郎はすっかり感心して、佐吉を東照宮の造営に参加させることにしました。
「わたしは、りゅうを彫ろう。佐吉、おまえは山門のネコを彫れ」
左甚五郎にみとめられたうれしさに、佐吉は力いっぱい彫りつづけました。
毎日毎日、彫りつづけ、とうとう山門のネコがほりあがりました。
そして、甚五郎やほかの弟子たちの仕事もすべておわり、東照宮は完成しました。
検査(けんさ)の役人たちも、そのみごとさには、ただおどろくばかりです。
甚五郎をはじめ、みんなはたいそういい気分になり、その夜は酒やごちそうでおいわいしました。
酒を飲み、歌い、もりあがったみんなは、疲れていたのか、たくさんのごちそうを残したまま、グーグーと、ねむってしまいました。
ところがそのよく朝、みんなが目ざめてみるとどうでしょう。
あれほどたくさんあったごちそうが、一ばんのうちになくなっているのです。
「おまえが食べたんじゃろうが!」
「とんでもない、おまえこそ!」
弟子たちのいいあらそいを聞くうちに、甚五郎と佐吉は、ハッと顔を見合わせました。
甚五郎はノミと木づちを持ち、山門へといそぎました。
佐吉もだまって、あとを追います。
山門へきてみると、佐吉の彫ったネコのまわりに、ごちそうを食いちらしたあとがあります。
甚五郎はクワッと目を見開き、カーンと、ノミと木づちをふるいました。
その一刀のもとに、佐吉のネコはねむりネコになってしまいました。
佐吉は、甚五郎のうでのあまりのすごさに、思わず地面にひれふしました。
「左甚五郎先生!」
甚五郎は、佐吉のかたに手をおき、しみじみといいました。
「佐吉よ、彫り物のネコにたましいが入るとは、おまえはまことの名人じゃ。これより、わしの名をとって、飛騨の甚五郎と名のるがよい」
「はいっ、ありがとうございます!」
佐吉の彫ったネコは、そのあと、「日光東照宮のねむりネコ」として、とてもひょうばんになりました。
それにつれて、飛騨の甚五郎の名まえも、たいへん有名になったということです。
おしまい
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