1月6日の百物語
チロリン橋
千葉県の民話
むかしむかし、ある村に、とても貧乏な一家が住んでいました。
お父さんが病気で寝込んでからは、その日に食べる物もろくにありません。
ある日、お母さんは十歳になったばかりの娘のお春に言いました。
「お春。
わたしたちは、とても貧乏だ。
田も畑もみんな長者さまの物で、わたしが日の出より早く働いて、夜に星が出るまでがんばっても、暮らしはちっとも良くならねえ。
それに、お父さんも無理がたたって寝込んでしまった。
家にはお前よりも小さい『お咲』や『作次』、それから赤ん坊の『吉三』もいる」
「うん」
「そこでお前には、隣村の長者の家へ子守りに行って欲しいのだけど、どうだろうか?」
するとお春は、しっかりと大きな声で言いました。
「わかった。わたし、子守りに行ってくる! お父さんの病気が治るまで、何年でも行って来る!」
「そうか。ありがとう」
お母さんは、お春に笑いかけようとして、思わず涙をこぼしてしまいました。
お母さんも本当は、お春を子守りに行かせたくはありません。
お母さんも子どもの頃に子守りをした事があるのですが、それはそれは大変な仕事です。
子守りといっても、赤ん坊の世話だけではないのです。
みんなが目を覚まさないうちに起き出して、『かまどの飯炊き』、『湯沸かし』をします。
そしてみんなの朝飯が終わると、急いでわずかなご飯をかき込んで、『食事の後始末』です。
その後は赤ん坊をあやしながら、『洗濯』、『拭き掃除』を終わらせ、『昼飯』、『晩飯』、『お風呂』の準備をするのです。
もう、体がいくつあっても足りないほどです。
でも、お春は涙をこらえて、
「お父さんの病気が、良くなるまでは」
と、歯を食いしばって頑張りました。
こんな毎日が、一年、二年、そして三年続いた、ある冬の事です。
長者が仏壇(ぶつだん)の奥にしまっておいたお金が、無くなってしまったのです。
家に奉公に来ている人たちは、長者に順番に調べられましたが、誰もが、
「知らねえ」
と、言います。
そして最後に、お春が調べられました。
長者は怖い顔で、お春に言います。
「お前の家は、えらく暮らしに困っているからな。すぐに白状して金を返せば、今度だけは許してやってもいいぞ」
長者はお春を犯人と決め付けていますが、もちろん、お春はお金を盗んだりはしていません。
「知らねえ、知らねえ。仏壇にさわった事は、一度もねえ」
お春は正直に言いましたが、いくらお春が言っても、長者は信じてはくれないのです。
「盗んだのは、お前しかいないんだ! 白状するまで毎日でも取り調べてやるから、覚悟しろ!」
その夜の事です。
お春は、みんなが寝静まるのを待って、そっと屋敷を抜け出しました。
お春はふところに、お春が七つの祝いに買ってもらった大事な赤いぼっくり(→女の子用の下駄)を抱いています。
「お母さん! お父さん!」
お春は真っ暗な田んぼ道を、泣きながら走りました。
そして何度も転びながらも、ようやく懐かしい家に帰って来たのですが、お春は家の前に立ちつくしたまま、家に入る事が出来ませんでした。
お春が奉公に出たお金は、すでに前払いでもらっているので、お春が逃げ帰ったと分かると、そのお金を長者に返さなければならないのです。
(お母さん・・・。お父さん・・・)
帰るに帰れないお春は、いつの間にか村境の橋の上に立っていました。
ふところに入れたぼっくりの鈴の音が、小さく、
♪チロリーン
♪チロリーン
と、鳴っていました。
(もう、どうしたらいいのか分からない。長者の家には帰りたくないし、自分の家には帰れないし)
次の瞬間、
ザッパーン!
お春は自分でもわからないうちに、川へと身を投げてしまったのです。
そしてお春は、死んでしまいました。
その後、無くなっていた長者のお金が別の所から出てきたのですが、長者はお春が死んだのは自分には関係ないと、線香の一本もあげなかったそうです。
お春が身を投げたこの橋は、今でも橋を渡る時に耳をすますと、
♪チロリーン
♪チロリーン
と、ぽっくりの鈴の音が聞こえてくると言われています。
そこで村人たちは、この橋を『チロリン橋』と呼ぶようになったそうです。
おしまい