1月14日の百物語
佐野の舟はし
群馬県の民話
むかしむかしの平安の頃、上野国群馬郡(かずさくるまのこおり)は佐野(さの)というところに、烏川(からすがわ)をはさんで東に朝日の長者、西に夕日の長者と呼ばれる長者がいました。
この二人の長者は、とても仲が悪かったそうです。
さて、朝日の長者には那美(なみ)という娘がいて、夕日の長者には小治郎(こじろう)という息子がいました。
ある時、二人は烏川のほとりで出会い、そしてお互いに一目ぼれをしました。
朝日の長者側の佐野の里人と、夕日の長者側の片岡の里人は、間を流れる烏川に舟橋(ふなはし→多くの船をならべて作った橋)をかけて往来しています。
しかし夜は橋を渡る者はなく、那美と小治郎は時をしめし合わせては、この舟橋の上で会っていたのです。
ある日の事、息子の不審な行動に気がついた夕日の長者は、恋の相手が向こう岸の長者の娘であると知ると、小治郎を一歩も外に出られない様にしてしまいました。
閉じ込められた小治郎は、父親に言いました。
「両家の仲たがいの、元々財力の競合い。
里人たちは、そんな両家を笑っております。
わたしと那美どのが結ばれれば、両家のしこりも解けるではありませんか」
「ええい、生意気を言うな!」
夕日の長者は、小治郎を外に出そうとはしませんでした。
一方、那美はいつもの時間になると屋敷を抜け出して、小治郎がやって来るのを待ちました。
しかし小治郎は、やって来ません。
「小治郎さま、一目でもお逢いしたい」
那美は小治郎の家に行こうと、橋を渡り始めました。
そして川の中程に、さしかかった時の事です。
「あっ!」
那美は小さな悲鳴とともに、烏川に飲み込まれてしまいました。
舟橋の橋板が何者かによって、はずされていたのです。
その頃、小治郎がまんじりともせず那美の事を思っていると、風もないのに灯りがふっと消え、一瞬悲鳴を聞いた様な気がしました。
「那美どの!」
妙な胸さわぎとともに、小治郎は戸を蹴破って舟橋に駆けつけました。
するとはずれた橋板の上に、那美のぞうりが片方残っていました。
これを見て、全てをさとった小治郎は、
「那美どの。死の国への旅を、一人で行かせる様な事はしません」
と、烏川に身を投じて、那美のあとを追ったのでした。
さて、この心中の後、舟橋には夜な夜な男女の幽霊が出没するようになり、誰一人舟橋を渡る者がなくなってしまいました。
その後、旅の僧がこの二人の為に観音像(かんのんぞう)を刻んで供養を行ってからは、幽霊が出る事はなくなり、舟橋は元のにぎわいをみせました。
しかし、那美と小治郎の悲恋(ひれん)は都の歌人の心を引きつけ、今でもこんな歌が残されています。
♪かみつけの、佐野の舟橋とりはなち
♪親はさくれど、吾(あ)はさかるがへ
おしまい