2月9日の百物語
淵の大グモ
岐阜県の民話
むかしむかし、ある村に、とても釣りの好きな男がいました。
ある春の事、
「そろそろ水も温かくなってきたから、魚がよく釣れるだろう」
と、男は村はずれの川の淵(ふち)へ、魚釣りに出かけました。
そして釣り糸をたれていると、どこからか小さなクモがやって来て、細いクモの糸を男の足の親指に巻き付けていったのです。
やがてまた別のクモがやって来て、同じ様にクモの糸を男の親指に巻き付けました。
そしてまた別のクモがやって来て、糸を巻き付けていくのです。
「さっきから、何のつもりだ?」
初めは気にもとめていなかった男も次第に気味が悪くなって、クモがいなくなった隙に足の指に巻かれた糸を外して、近くにあった大きな木の切り株へ巻き付けたのです。
それからしばらくして、魚でビクがいっぱいになった男が、
「さて、今日はこの辺で終わりにするか」
と、立ち上がったその時、淵の中から不気味な声がしたのです。
「太郎も、次郎も、三郎も、みんな帰れ!」
するとその後すぐに、さっきクモの糸をかけた木の切り株が、めりめりと音を立てて淵の中へ引き込まれていったのです。
「あわ、あわあわあわ」
男がびっくりして腰を抜かしていると、淵の中から、
「罠から逃れるとは、かしこい奴め」
と、不気味な声がしたのです。
この事があってから、村人は誰一人この淵には近づこうとはしませんでした。
でも、そんな事を知らない旅人たちが、年に何人か、この淵の中へ引き込まれたそうです。
さて、そんなある日の事、一人の旅のお坊さんが、この淵へとやって来ました。
お坊さんが淵のそばの木の下で腰を下ろして休んでいると、大きなクモが暗い茂みから真っ赤な眼を光らせて、お坊さんをにらんでいました。
それに気づいたお坊さんは、
「あはははは。そんなに大きな姿では、人間は怖がって逃げてしまうぞ」
と、言いました。
すると大きなクモは、シュルシュルシュルと小さくなっていきました。
するとお坊さんは、
「なるほど。少しは神通力(じんつうりき)を、持っているようだな。だが、まだ大きすぎる。いや、それともそれがお前の限界かな?」
と、言いました。
するとクモは、またまたシュルシュルシュルと小さくなり、豆粒程の大きさになると、お坊さんの足下に近づいてきたのです。
「ほほう。なかなかに小さくなったな。・・・では」
お坊さんはそう言うと、豆粒ほどになったクモを、ぷちりと足で踏み潰しました。
そして、潰れたクモを川の中に蹴り入れると、
「今まで何人の人間を食ってきたかは知らんが、しょせんはクモじゃな。こんな手に引っかかるとは。さあ、せめて念仏を唱えてやるから、成仏するがよい」
と、その場で簡単なお経を唱えると、お坊さんはまたどこかへと旅立っていきました。
それから七日目の事、川下で、ひと抱えもある大グモが押し潰された形のまま浮びあがったという事です。
おしまい