2月17日の百物語
安義橋(あきのはし)の鬼
滋賀県の民話
むかしむかし、近江の国(おうみのくに→滋賀県)の殿さまのお屋敷に、家来の若者たちが集まっておしゃべりをしていました。
そのうちに一人の若者が、こんな事を言いました。
「なあ、お前たち知っているか?
安義橋(あきのはし)という橋は不思議な橋で、あの橋を渡った者は生きて帰れないと言われているそうだ。
うわさでは、鬼が出るらしい。
だから今では、人っ子一人通る者がないそうだ」
それを聞いて、腕自慢の一人が答えました。
「鬼が出るなんて、うそに決まっている。なんなら、おれがその橋を渡ってみせよう」
「なに! 本当に、渡れるのか?」
「もちろん、渡れるさ。
しかし、ひとつ条件がある」
「条件とは?」
「このお屋敷にあるお馬を、お借りする事だ。
あのお馬は、日本一の名馬だ。
あれに乗って行けば、鬼が出ても何でもないさ」
この男は、馬を借りられるはずはないと計算して言ったのですが、ちょうどその時、殿さまが奥から入って来て、
「話は聞いたぞ。それならあの馬を、すぐにでも貸してやろう」
と、言ったのです。
これには言い出した男も、すっかり困ってしまいました。
「あの、その、今の話は、まったくの冗談でございますので、はい」
男は殿さまの前で何度も頭を下げましたが、ほかの若者たちが黙っていません。
「なんだ、なんだ。今さら何を言っているのだ」
「そうだ、そうだ」
「おい、はやくしろ。日がかたむいたぞ」
「そうだ、そうだ」
「ここは男らしく、約束を守れ」
「そうだ、そうだ」
そう言っているうちに、若者の何人かが馬屋から馬を引き出してきたのです。
そして馬の背中にくらを置くと、男に言いました。
「さあ、準備は出来たぞ。観念して行ってこい」
こうなっては、もう逃げ出すわけにはいきません。
(とほほ。・・・つまらない事を言ったものだ)
男は後悔しましたが、仕方なく立ち上がると馬のそばに行き、馬の腹帯がゆるまない様に強く締め直したり、馬のお尻に油をたっぷりと塗ったりしました。
そして手にむちを一本持つと、馬にまたがって出発したのです。
さて、安義橋(あきのばし)のたもとまでやって来ると、もう、日が暮れかかっていました。
「薄気味悪いな。・・・何も、出なければよいが」
男が馬を小走りに走らせて橋の中ほどまで進んだ時、薄暗い橋の上に誰かが一人で立っているのが見えました。
「もしかして、鬼?」
しかしよく見ると、それは女の人でした。
女の人は薄紫色の布を頭からかぶっており、着物は濃い紫色で、赤いはかまをはいています。
まるで、都の宮仕えの様な服装です。
その女の人が口に手をあて、さびしそうな目で男を見つめました。
(若い女が、こんなところでどうしたのだろう? 誰かに、置き去りにされたのだろうか?)
女の人は男に近づくと、しずかに顔をあげて笑みを浮かべました。
(なんて、美しいのだろう)
男は一目で、女の人に心をひかれました。
(ここに置いていては、かわいそうだ。馬に乗せて、家まで送ってやろう)
そう思いましたが、
(いや、待てよ。こんな時間に若い女の人が、たった一人でいるのは怪しいぞ)
と、考え直すと、あわてて馬を走らせようとしました。
すると女の人は、ふいに声をかけてきました。
「もし、お願いでございます。どうか向こうの村まで、わたしを連れて行ってくださいませ。こんな所に置き去りにされて、困っております」
美しい声ですが、男はその声を聞くと、なぜか急に身震いをしました。
(これは、人ではない!)
そして馬にむちを当てると、あわててその場を逃げ出しました。
「まあ、ひどい人。お待ち! ・・・待たんか!」
後ろから、大きな叫び声がしました。
さっきの女の人の声とは思えない、まるで大地をゆるがすような声です。
「待てー! 待たぬかー!」
女の人は、ドタドタと恐ろしい足音で後ろから追いかけてきました。
(鬼だ! やはり鬼だ!)
男はそう思うと、夢中で叫びました。
「観音さま、どうか我をお助けください!」
しかし後ろから追ってくる足音を、どうしても引き離す事が出来ません。
それどころか何度も何度も馬のお尻に手をかけて、男を馬から引きずり落とそうとするのです。
幸い、馬のお尻には油がたっぷりと塗ってあるので、手が滑って捕まる事はありませんでした。
男は逃げながら、ちらりと後ろを振り向きました。
すると先ほどの美しい女は、世にも恐ろしい鬼に変わっていたのです。
鬼の身長は九尺(きゅうしゃく→約二・七メートル)で、まっ赤な顔で金色の目がギラギラと光っています。
手の指は三本で、爪は刀の様にとがっています。
「観音さま、どうか我をお助けください!」
男は観音さまに祈りながら、なんとか村はずれまでやってきました。
人家の明かりが見えてくると、ようやく鬼は追うのをあきらめて、
「今日は逃がしてやるが、いつかきっと捕まえてやるぞ!」
と、叫ぶと、どこかへ行ってしまいました。
男はやっとの事で、殿さまのお屋敷にたどりつきました。
男の帰りを待っていた若者たちが、足音を聞きつけて出てきました。
「おい、どうだった?」
「鬼は、いたか?」
若者たちが聞きましたが、男は真っ青な顔で震えながら、返事一つ出来ません。
そこで若者たちは男をかかえてお屋敷家の中に連れて行き、男を介抱(かいほう)してやりました。
殿さまも心配して、出てきました。
殿さまの顔を見て男はようやく正気に戻り、さっきの恐ろしい出来事を話しました。
それを聞いた殿さまは、
「それは災難だったな。だがこれにこりて、もうつまらない強がりを言うでないぞ」
と、男をたしなめると、落ち込む男に乗っていた馬をほうびだと言ってやりました。
馬をもらった男は元気を取り戻すと、家に帰って家族に今日の話を聞かせました。
さてそれから男の家に、色々と不思議な事が起こりました。
突然家が地震の様にゆれたり、天井や壁から奇妙な声が聞こえたりと。
怖くなった男が占い師に頼んで原因を占ってもらうと、占い師はこう言いました。
「あなたは、何かのたたりを受けています。すぐに体を清めて、ものいみをする様に」
ものいみ(→物忌み)とは、門を閉めて家の中に引きこもり、どんな人が来ても決して家の中に入れてはならない事です。
男は体を清めると、じっと家の中に引きこもっていました。
ところがその日の夕方、ドンドンドンと門をたたく者がありました。
家の者がのぞいてみると、そこにいたのは男の弟です。
弟は、みちのく(→東北地方の北部)の殿さまの家来になって、奥州(おうしゅう)に住んでいます。
その弟が久しぶりに京都へ帰る事になったので、その途中、兄のところを訪ねてきたというのでした。
(よりによって、悪い日に来たものだ。
しかし弟に会って、病気がちな母上の様子を聞きたい。
・・・しかし今日は、ものいみの日だ。
残念だが、会うのはよそう)
男はそう思って、家の者を呼ぶと、
「今日は会えない。明日になったら会うから、今夜は他の人の家を借りて泊まるように」
と、門の中から言わせました。
すると、弟は、
「何をなさけない事をおっしゃいます。
もう、日も暮れてしまいました。
わたし一人なら他の家を借りる事も出来ますが、しかし今日は家来も連れているし、馬もいます。
他の人の家に、泊まるわけにはいきません。
それに、母上がなくなられたのですよ。
その事もぜひ、わたしの口から申し上げたいと思って、急いでまいりましたのに」
と、残念そうに言いました。
これを聞いた男の目に、涙が浮かびました。
(ああ、家で不思議な事が起こったのは、母上がなくなられたという知らせであったのか)
男は、ものいみの事をすっかり忘れて、家の者に言いつけました。
「門をすぐに開けよ。弟をここに通せ」
そしてなつかしそうに、弟を家に迎え入れました。
男と二人っきりになった弟は、泣きながら母の事を色々と話しました。
男のお嫁さんは隣の部屋で二人が話し合っているのを聞いていたのですが、そのうちに、今まで仲の良かった二人が取っ組み合いを始めたのです。
「まあ、いったい、どうなすったのですか!」
お嫁さんは思わず声をかけて、二人のところに走り寄りました。
すると男は、弟を下に組ふせながら、
「刀を取って来い! まくらもとにある刀を。はやく、はやく!」
と、顔をまっ赤にして言うのです。
「あなた、気でも狂ったのですか。せっかくいらした弟さんに」
「なにを、ぐずぐずしているのだ! おれに、死ねというのか!」
男が叫ぶと今まで下にいた弟が飛び起きて、今度は男を組みふせてしまいました。
「きゃあー!」
お嫁さんは弟の顔を見て、思わず悲鳴を上げました。
その弟の顔というのが、いつか橋の上で追いかけられたと話をしてくれた鬼の顔だったのです。
そう気がついた時には、弟に化けていた鬼はどこかへ行ってしまいました。
お嫁さんの悲鳴を聞きつけて家中の者が集まって来ましたが、すでに男は鬼にのどを食いちぎられていました。
「それでは、あの弟が連れて来た家来や馬は、どうなったのだ?」
みんなが外を調べてみると、動物の骨がいくつも庭に転がっていました。
人や馬に見えたのは、この骸骨だったのです。
この話は、すぐに殿さまたちに知らされました。
これを聞いた殿さまは、
「つまらない冗談から、ついに命まで落としてしまったか」
と、男の死を残念がり、男のためにお祈りをしました。
その後、鬼は姿を見せなくなり、人々は安心して安義橋を渡れる様になったという事です。
おしまい