3月7日の百物語
幽霊屋敷
東京都の民話
むかしむかし、江戸(えど→東京都)の深川(ふかがわ)に、幽霊(ゆうれい)が出るという屋敷がありました。
とても広くて立派な屋敷ですが、そこに住むどころか近づく人もほとんどいません。
ある日、この幽霊屋敷の話を聞いた一人の若い侍(さむらい)が、
「そいつはありがたい。静かな家が欲しかったところだ」
と、喜んで引っ越したのです。
その夜、侍が奥の部屋で勉強をしていると、 どこからともなく女のすすり泣きが聞こえて来ました。
「よし、おいでなすったな」
侍は怖がるどころかローソクを持って、屋敷中の部屋を調べました。
しかしどの部屋にもあやしいものはなく、ただ、シクシクと泣く声が聞こえるだけです。
「なんだ、声だけの幽霊か。・・・うん?」
侍が、ふと壁を見ると、壁には二つの影がローソクの光にゆれています。
一つは自分の影ですが、もう一つはどうやら女の人の影の様です。
自分が歩けば女の影も歩き、自分が止まれば女の影も止まります。
奥の部屋に戻ると、女の影もシクシク泣きながらついて来ました。
侍は腰を下ろすと、女の影に声をかけました。
「おい、幽霊さん。そう泣いてばかりおらんで、姿を現したらどうだね」
すると侍の前に、スーッと一人の女が現れました。
まるで本物の人間の様ですが、よく見てみると女の顔には目がありません。
「いや、よく出てくれた。せっかくだから、一緒にお茶でも飲もう。すまないが、お茶をいれてくれんか」
女の幽霊は、だまってカガミの前に行きました。
(なるほど。幽霊とはいえ、やはり女だな)
幽霊は髪の毛をといて、ほんのり口紅をつけると、お茶を持って来ました。
そしてお茶を侍の前に置くと、スーッとそのまま消えてしまいました。
次の夜、女の幽霊が部屋の中にスーッと入ってきました。
そして部屋のすみで、ジッと立っています。
それに気がついた侍は、幽霊に言いました。
「こら、幽霊とはいえ、礼儀(れいぎ)を守りなさい。人の部屋に入る時は、ちゃんと声をかけなさい」
すると幽霊は、恥ずかしそうに、
「・・・はい」
と、言って、スーッと消えてしまいました。
その次の晩、侍は仕事で夜遅くに帰って来ました。
部屋の中に入ると、幽霊が部屋のすみでネコの様に丸まって眠っていました。
「ほほう、あんまり遅かったので、待ちくたびれたみえるな。どれ、毎晩来てくれるお礼に、目をかいてしんぜよう」
侍は筆とすみを用意すると、小さな寝息を立てる幽霊の顔に、きれいな目を二つかいてやりました。
(うむ、我ながら見事な出来だ。気に入ってくれると良いが)
そして侍は、今帰って来たかの様に声をかけました。
「幽霊さん、仕事で遅くなってすまなかった。すまんが、ちょいと肩をたたいてくれないか」
その声に目を覚ました幽霊は、恥ずかしそうに起き上がると、いつもの様にカガミの前へ行きました。
そして鏡の中を見たとたん、
「キャーッ!」
と、声をあげて、消えてしまいました。
それっきり幽霊は、二度と現れなかったそうです。
おしまい