3月9日の百物語
あどけない目
東京都の民話
むかしむかし、江戸(えど→東京都)の本所(ほんじょ)のいろは長屋に、二人の浪人(ろうにん)が隣り合わせに住んでいました。
一人は榎左門(えのきさもん)といって、七つになる一人娘と静かに暮らしていました。
もう一人の浪人は林田重三郎(はやしだじゅうざぶろう)といって妻と二人暮らしでしたが、妻からは早く仕官(しかん→役人になること)する様にと毎日の様に言われていました。
ある日の事、そんな二人に、仕官の声がかかったのです。
でもそれは、殿さまの御前(ごぜん→位の高い人の前)で試合をして、勝った方だけを仕官するというものでした。
これを聞いた重三郎(じゅうざぶろう)の妻は、大喜びです。
何しろ夫は、隣の左門(さもん)よりもずっと強いからです。
「あなたさまの勝ちは、間違いありませんね」
「うむ。だが、万一の事がない様にせねば」
重三郎(じゅうざぶろう)は試合の日まで、ただひたすら稽古(けいこ)を続けました。
さて、いよいよ試合の日。
重三郎と左門は、木刀を持って殿さまの御前で向かい合いました。
重三郎は自分の勝利を確信しており、すでに祝いの準備を妻に命じています。
一方の左門は勝ち負けにこだわらず、武士として恥ずかしくない試合をしようと思っていました。
「では、始め!」
合図と同時に、二人は木刀を振り下ろしました。
その結果は、人々の予想とは反対に、左門が勝利したのです。
心のやさしい左門は、
「友だちでありながら、この様な事になって・・・」
と、負けた重三郎に頭を下げました。
「くっ、くそ・・・・・・」
負けた重三郎は、左門がにくくてたまりません。
そして仕返しを考えた重三郎は、
(そうだ。左門がなにより大事にしている、あの一人娘を殺してやろう)
と、左門の留守に娘を連れ出すと、人気のない森の中へ連れ込みました。
「お父さまが、森の向こうで待っているの? おじさま」
たずねる娘に重三郎は刀を抜くと、いきなり小さな娘の両腕を切り落として、心臓に刀を突き刺すと知らん顔で長屋に帰ったのです。
ところが家に入ったとたん、重三郎の顔が真っ青になりました。
なんと自分の妻が、血まみれになって倒れているのです。
それもちょうど自分が娘にやった様に両腕を切り落とされて、心臓を刀で突き刺されているのです。
重三郎はその日のうちに、妻殺しの罪で役人に捕まりました。
そして刑場(けいじょう)へひかれていく途中、重三郎は自分の目を疑いました。
大勢の人だかりの中に、父親の左門に手を引かれて、あの娘が自分を見つめているのです。
「ああ、おれはなんとあさましい事をしたのだ。人をうらむと、それは自分にかえってくるのか」
重三郎は処刑される前に、そう言ったそうです。
おしまい