3月27日の百物語
麒麟(キリン)
東京都の民話
むかし、江戸の本郷という所に、伊勢屋吉兵衛という小間物商人がいました。
若い頃の吉兵衛は重い荷物をかついであちこちに売り歩く行商人でしたが、今では立派な店をかまえており、それも息子夫婦に任せているので、とても気楽な隠居生活です。
「・・・ひまだな」
何もする事がない吉兵衛は、物干し台に布団をしいて昼寝を始めました。
「ああ、良い天気だ」
吉兵衛がうとうとしていると、何やら東の空から飛んで来る物があります。
「はて? 鳥にしては大きすぎるし、雲にしては動きが変だ」
吉兵衛が見ていると、飛んで来る物は近づいて来るにつれて馬の様に見えます。
「まさか、馬が空をかけるはずが」
不思議に思って、なおもよく見ていると、それは伝説の中に出てくるキリン(麒麟→馬の体に牛の尻尾。毛は金色で頭に鹿のような角があります)にそっくりだったのです。
「おい! 誰か、いないか!」
吉兵衛は物干し台から声をかけましたが、みんな仕事に忙しいのか返事がありません。
キリンは吉兵衛の頭の上に来たかと思うと、ゆっくりと空を回り始めました。
やがてキリンは、
「ケーーン!」
と、鳥の様な鳴き声を残して舞い上がると、北西の空に向かって一直線に駆け出しました。
そのとたんに空がまっ赤に夕焼けて、キリンの身体が黄金色に光輝きました。
(なんと、美しい・・・)
吉兵衛の口から、思わずため息がもれます。
黄金色に光輝くキリンは、もう一度力強く鳴くと、夕焼けの中へと姿を消しました。
やがて我に返った吉兵衛は家の外に飛び出すと、歩いている人たちに言いました。
「おい! 今、キリンが空を駆けて行っただろう!」
「キリン? いいえ」
「あんたは、見ただろう?」
「・・・さあ?」
「なんだ、誰も見ていないのか!」
吉兵衛は息子のいる店へ行って、さっきの出来事を話しましたが、誰もキリンには気づかなかったそうです。
それどころか息子に、
「親父は、夢でも見ていたんでしょう」
と、笑われる始末です。
しかし吉兵衛には、どうしても夢とは思えません。
そこで近所の人、一人一人にキリンの事を尋ね回ってみると、ただ一人、木登りをしていた子どもが空を飛ぶ馬の様な物を見たと言ったのです。
「やはり、わしが見たのはキリンに間違いない」
そしてその事を知り合いの占い師に話すと、占い師はこう言いました。
「それは、おめでたい。
キリンとは、心がけの良い者にしか見えないと言われています。
おそらく、あなたとその子どもだけが、心がけの良い人間だったのでしょう」
それを聞いた吉兵衛は、とても喜んで、
「あれほど素晴らしい物を見られなかったとは、みんな、よほど心がけが悪いのだな」
と、死ぬまで自慢していたそうです。
おしまい