5月21日の百物語
亡者が飲む最後の水
富山県の民話
むかしむかし、ある険しい山に、みんなから仙人と呼ばれるおじいさんが住んでいました。
このおじいさんは、山を登って来る人たちの道案内をして暮らしています。
ある夏の晩の事、おじいさんは山の下から聞こえて来るおかしな声に目を覚ましました。
(こんな夜ふけに、何の声だろう)
不思議に思って小屋の外に出てみると、大勢の人が一緒になって泣いている様に聞こえます。
(迷子かな? しかし、今頃に山を登る人はいないはずだが)
おじいさんは声のする方をのぞいてみましたが、深い霧が出ていて何も見えません。
大勢ですすり泣く声は次第に大きくなり、霧の中から風に乗って登ってきます。
おじいさんは声が気になって、その場にじっと立っていました。
すると突然に霧が晴れて、はるか下の方に青白い沼が浮かびあがりました。
「あれは、何だろう?」
おじいさんはこの山の事はすみからすみまで知っていますが、あんな沼を見たのは初めてです。
おじいさんが目を凝らすと、白い着物を着た人らしい物が、沼のふちを動き回っていました。
おじいさんは急いで、沼の方へと行きました。
沼へ着くと、白い着物を着た何十人という人が、先をあらそって水を飲んでいるところでした。
おじいさんは思わず、その人たちに声をかけました。
「おーい、お前たち。そこで何をしているのだ?」
すると何人かがいっせいに顔をあげて、おじいさんの方を見ました。
その顔はぼうぼうに髪の毛が伸びており、それをしばる様にして、ひたいに三角のずきんをつけていました。
そしてどの目も、火の様に赤く光っています。
「も、もっ、亡者だあーーっ!」
亡者とは悪い事をして亡くなった、地獄へ送られて行く人たちの事です。
おじいさんは目をつむると、両手を合わせて一心に念仏を唱えました。
「なんまいだ、なんまいだ、なんまいだ、なんまいだ・・・」
するとおじいさんの唱える念仏が苦しいのか、亡者たちは苦しそうにうめき声を上げると、どこかへと逃げて行きました。
しばらくしておじいさんが目を開けると、亡者はどこにもいません。
そして青白く光る沼も、ありませんでした。
「やれやれ、助かった。しかしあの亡者ども、ここで何をしていたのだ? ・・・はっ!」
その時、おじいさんはむかし、自分の父親に聞いた話を思い出しました。
『富山の立山(たてやま)にある地獄谷へ向かう亡者たちは、この山で最後の水を飲むらしい。亡者を見た者は近いうちに地獄へ引きづり込まれるから、気をつけろよ』
父親の言葉通り、それからひと月もしないうちに、おじいさんは死んでしまったそうです。
おしまい