5月24日の百物語
つかずの鐘
京都府の民話
丹後(たんご)の国、成相山(なりあいやま)の中腹にある成相寺(なりあいじ)の鐘は『つかずの鐘』と呼ばれて、今までにほとんどつかれていないそうです。
これはその、『つかずの鐘』のお話しです。
むかしむかし、お寺のお坊さんと侍との戦いがあり、成相寺の鐘は壊されてしまいました。
そこで村では成相寺の鐘をもう一度新しく造る事になり、全ての村人から寄付金を集める事になったのです。
この村の村外れに、太助(たすけ)という貧乏な男が、女房と生まれたばかりの赤ん坊と三人で暮していました。
そしてもちろん、太助の家にも寄付集めの男がやって来たのですが、太助はちょうど出かけていて、女房は一文の金も持っていませんでした。
そこで女房は、
「今は主人が出かけていますので、家には一文もありません。すみませんが、また今度にしてくださいな」
と、言ったのですが、寄付集めの男は、
「ありがたい鐘を造る為に、村のみんなが金を出しとるんじゃ。少しくらい、何とかならんのか?!」
と、言って帰ろうとはしないので、腹を立てた女房が言いました。
「何とかしろと言われても、ここには一文のお金もありません。そんなに言われるのなら、わたしたち夫婦が命より大事にしているこの赤ん坊を持って行って下され」
「ふん! 今日は帰るが、絶対に寄付をする様にと太助に伝えておけよ。わかったな」
男は捨てぜりふを残して、やっと帰って行きました。
それから数日後、京都から有名な鋳物師が呼ばれて、鐘造りが始まりました。
鋳型が出来上がり、その中に溶かされた銅が流し込まれます。
そして冷えた型を割って見ると、どうでしょう。
ちょうど鐘をつく場所に、大きなへこみがあるではありませんか。
「仕方ない、造り直すか」
こうして鐘を造り直したのですが、不思議な事に、また同じところにくぼみが出来たのです。
村人たちは、あれこれとうわさをしました。
「これは、何かのたたりかも知れんぞ」
「寄付をしなかった太助の女房が、寄付の代わりに赤ん坊を出すちゅうとったぞ。もしかすると、その話に因縁があるかも知れん」
そして三回目に鐘を造り直す時、太助の赤ん坊が急に姿を消してしまいました。
太助と女房はあちこちを探し回りましたが、赤ん坊はとうとう見つかりませんでした。
一方、成相寺では、お坊さんが熱心にお経をあげながら鐘造りが始まりました。
一晩中かかって型が外されると、今度はどこにもくぼみがない、見事な鐘が出来上がったのです。
鐘はさっそく鐘つき堂に吊るされて、朝と夕方につかれる事となりました。
ところが、不思議な事が起こりました。
朝夕の二回、鐘の音が鳴り響くと、今まで静かだった海が急に荒れ狂い、大波が押し寄せて漁師の船を沈めたりするのです。
また鐘が鳴り響く間、鐘の音とともに赤ん坊の泣き声が聞こえて来るのです。
そんな事があってから、太助夫婦は旅に出て村からいなくなり、鐘もつかれなくなったのです。
それから数年後、成相寺に一人の男が訪ねて来て言いました。
「毎日毎日、自分がした事に苦しんでおります。どうかわたしを、坊さんにして下さい」
その男は、太助の家に寄付を集めに行った男だったそうです。
おしまい