6月5日の百物語
武蔵が淵(むさしがふち)
岐阜県の民話
むかしむかし、可児川(かにがわ→木曽川水系)と言う川の近くで、お酒を作って売っている酒屋がありました。
この酒屋の『恵土の華(えどのはな)』というお酒がおいしいとの評判で、遠くから買いに来る人も多くいました。
ある日の事、この酒屋に身なりの立派な若い侍がやって来ました。
「ごめん。これに酒をたのむ」
そう言って侍が差し出した徳利は、侍の身なりとは違って安物の徳利でした。
それから侍は毎日の様にお酒を買いに来たのですが、その度に差し出す徳利が違います。
(なぜ、いつも違う徳利なのだろうか?)
そして今日も侍が出したのは安物の違う徳利で、酒屋の主人がふと見ると泥で汚れていました。
「あの、この徳利は汚れていますので、ちょっと洗ってきます」
酒屋の主人が裏の井戸で徳利を洗うと、何と中も泥で汚れていたのです。
(酒好きの人が、こんな徳利を使うわけがない。・・・こいつは、おかしいぞ)
そこで主人は店の若い者に、侍の帰りを追わせる事にしたのです。
酒屋を出た侍は森の中に入って行くと、やがて大きな淵の前に立ちました。
(あのお侍さま、あんなところで何をしているのだ? まさか、飛び込むつもりでは)
店の若い者がそう思っていると、何と侍は本当に、
ドボーン!
と、淵に飛び込んだのです。
(わあ、本当にやりやがった)
店の若い者があわててその淵を覗き込んでみると、淵には侍の姿はなく、その代わりにタライほどもある大きなスッポンが口に徳利をくわえて潜って行くところでした。
店の若い者から話を聞いた酒屋の主人は、腕組みをして言いました。
「そう言えば、あの淵には水神さまをいると言われている。
それに川のそばには、小さな祠がまつってある。
となると、あの徳利は日頃、百姓たちがお供えするお神酒(みき)つぼだな。
そして代金は、おさい銭に違いない。
今度来たら、わしが確かめてやろう」
しかしそれから、あの侍がお酒を買いに来る事はなく、その代わりにこんなうわさが広まりました。
「水神さまの淵を酒を持った人が通ると、淵に引き込まれて二度と出て来られないそうだ」
さあ、このうわさが広まると人々は怖がって、淵どころか可児川にも近づかなくなりました。
おかげで可児川の近くで店を開いている酒屋にも、人が来なくなったのです。
そんなある日、酒屋へ一人の侍が尋ねて来て言いました。
「これ主人。この先の水神さまの淵に、大きなスッポンが出て悪さをするそうじゃが、それは本当か?」
この侍は、この辺りを治める殿さまの家来でした。
「はい、本当でございます。おかげで人が、通らなくなりました」
「うむ。領内がさびれては、殿に申しわけがない。何とかして、スッポンを退治せねば」
そこで侍は二人の家来を連れて、再び酒屋へとやって来ました。
「これから、淵のスッポン退治に向かう。酒屋、お前も酒を用意して、ついてまいれ」
こうして酒屋の主人が侍たちと一緒にお酒を持って淵に行くと、さっそくお酒のにおいをかぎつけたのか、淵の中からブクブクとあやしい泡が出てきました。
「さあ主人、酒を出してくれ」
侍は酒屋の主人から徳利を受け取ると、それを淵の泡立つところへと放り投げました。
そのとたん、淵の中からタライよりも大きなスッポンが姿を現して、酒の入った徳利を口にくわえたのです。
「よし。今だ!」
侍は淵に飛び込むと小刀でスッポンの首を切り落とし、見事スッポン退治をしたのでした。
それ以来、この淵のそばをお酒を持って通っても、誰も襲われる事はありませんでした。
そしてその後、この淵は殿さまの名前をとって、『武蔵が淵』と呼ばれる様になり、酒屋の『恵土の華』も、また売れる様になったのです。
おしまい