6月30日の百物語
ぬれ女と牛鬼(うしおに)
島根県の民話
むかしむかし、石見の国(いわみのくに→島根県)に、森山玄蔵(もりやまげんぞう)という侍がいました。
玄蔵は大変な釣り好きで、ひまさえあると釣りに出かけます。
ある夏の事、玄蔵は夕方から磯へ夜釣りに出かけました。
その日はどうしたわけか、次から次へと魚が釣れる日で、またたく間に、びくの中は魚でいっぱいになりました。
「こんなに釣れるとわかっていたら、もっとでっかいびくを持って来ればよかったな」
これ以上は釣っても持って帰れないので、玄蔵が引き上げようとしたら、後ろに誰かが立っていました。
「おや?」
振り向いてみると、誰もいません。
「おかしいな」
そう思って、もう一度前に向き直ると、何と目の前の海に、ずぶぬれの女が赤ん坊を抱いて立っているのです。
月の光に照らされた女の顔は、まるで死人の様に青白です。
玄蔵は逃げ出そうとしましたが、足が引きつって動く事が出来ません。
女は海の上を歩く様にして、玄蔵のそばにやって来ました。
そして、ぞっとするほど冷たい声で言いました。
「すみません。この子が、お腹を空かせて困っています。どうか、魚を一匹やってくださいな」
「や、や、やるとも」
玄蔵は震える手で、釣ったばかりの魚を女に手渡しました。
「ありがとう」
そして女が、その魚を赤ん坊に持たせるとどうでしょう。
赤ん坊は魚の頭にかぶりつき、骨ごとバリバリと食べてしまったのです。
「すみません。もう一匹」
玄蔵は、びくごと女に渡しました。
すると赤ん坊は、バリバリ、ムシャムシャ、ペチャペチャと、口のまわりを血だらけにして、びくの中の魚を一匹残らずたいらげてしまったのです。
あまりの恐ろしさに、玄蔵は気絶しそうです。
「すみませんが、ちょっとこの子を抱いてくれませんか?」
「い、いや、それは困る」
玄蔵は嫌がりましたが、女は玄蔵に赤ん坊を無理矢理押し付けると、すうっと海の中に消えてしまいました。
玄蔵は、あわてて赤ん坊を投げようとしましたが、赤ん坊は胸にしっかりとしがみついて、どうやっても離れてくれません。
「とにかく、ここを逃げ出さなくては」
玄蔵は赤ん坊を抱いたまま、夢中で駆け出しました。
そしてようやく岩場を抜けて海辺の道へ出ると、後ろから、ひづめの音が近づいてきました。
「あっ、牛鬼!」
振り返った玄蔵の前に、鬼の顔をした牛の化け物が角をふりかざしながらやってきます。
「だ、だれか〜!」
玄蔵は、声をふりしぼって叫びました。
その頃、玄蔵の家では、奥さんが一人で留守番をしていました。
座敷の方から、ガタガタと、おかしな音がするので、中をのぞいてみると、主人が大切にしている床の間の刀が一人で暴れているのです。
「これはもしや、主人の身に何かあったに違いないわ」
奥さんが表の戸を開けて外へ出ようとしたら、床の間の刀がさやから抜けて、矢の様に飛び出して行きました。
刀は空に舞い上がると、そのまま海辺に向かって一直線に飛んでいきます。
「どうか、主人をお守りください」
奥さんは刀に向かって、手を合わせました。
その時、玄蔵は牛鬼に追いつめられて、するどい角で今にもひと突きにされようとしていました。
「もうだめだ!」
玄蔵が思わず目をつむった瞬間、
「ぎゃあーー!」
目の前で、ものすごい叫び声がしました。
それと同時に、玄蔵の胸にしがみついていた赤ん坊が落ちました。
恐る恐る目を開けてみると、牛鬼の首に自分の刀が突き刺さっているではありませんか。
「たっ、助かった」
玄蔵は腰が抜けて、その場にへなへなと座り込んでしまいました。
次の朝、玄蔵が村人たちと一緒に昨日の海辺へ来てみると、牛鬼も赤ん坊の姿もなく、血の跡がてんてんと海まで続いていたそうです。
赤ん坊を押し付けた女は『ぬれ女』と呼ばれる海辺の妖怪で、牛鬼を連れて現れると言われています。
おしまい