7月9日の百物語
約束の日
むかし、江戸の本所(ほんじょ)の『いろは長屋』に、山口浪之介(やまぐちなみのすけ)と光川新衛門(みつかわしんえもん)という浪人(ろうにん)が一緒に暮らしていました。
二人は小さい頃からの友だちで、ずっと同じ殿さまに仕えていましたが、殿さまの家がつぶれてから長い浪人生活で、今ではその日の米代にも困るありさまです。
「のう、浪之介(なみのすけ)。
こんな事をしておっては、二人とものたれ死にをするばかりだ。
いっその事、別々に暮らしを考えてはどうだろうか?」
「なるほど、それもよかろう。
では新衛門(しんえもん)、三年後に会う事にしないか?」
「わかった。三年後に必ず」
「おう、三年後に」
二人は会う場所と時間を決めて、別れ別れに生活をする事にしました。
それから月日は流れて、もうすぐ約束の三年です。
その頃の浪之介は人の道を外れて、世間に名高い盗賊(とうぞく)となっていました。
ところがドジを踏んで役人に捕まり、やっとの事で逃げ出して、小舟で海へと逃れたばかりです。
浪之介は舟の上で、ふと約束の日の事を思い出しました。
「そうだ。このまま東へこいで、江戸へ下ろう。こんなに落ちぶれてしまったが、友だちとの約束は守らねば」
浪之介は新衛門に会う為に舟を江戸へ進めましたが、運の悪い事に高波に飲み込まれて、そのまま海の底に沈んでしまったのです。
その頃の新衛門は、必死に働いたおかげで南町奉行所(みなみまちぶぎょうしょ→裁判所)の調べ役になっていました。
新衛門は浪之介が東海道を騒がす盗賊になって、江戸に人相書(にんそうがき→犯人の顔のイラスト)まで回っている事を知っていました。
いよいよ約束の日の朝、新衛門は約束の場所に行こうかどうか迷いました。
「今の浪之介とおれとでは、気軽に会える立場ではない。
友だちであるあいつを捕まえる事は出来ぬし、かと言って見逃した事が人にしれれば、おれが捕まる立場になる。
やはりあいつとは、会わない方が・・・。
いや! たとえどうなろうと、おれにとってあいつはかけがえのない友だちだ。
友だちとの約束は、守らねば」
新衛門は心を決めると、浪之介に会う為に家を出ました。
すると何と、浪之介が家の前で座っているではありませんか。
「おお、浪之介。よく来た」
そう言って、新衛門はハッとしました。
(馬鹿な、人相書まで回っているお前が、なぜおれの家などに来るのだ。おれの家を調べたからには、おれの仕事は知っているはず)
新衛門は顔を地面に向けると、浪之介に言いました。
「さあ、浪之介。おれがこうしている間に、どうか逃げてくれ」
すると浪之介が、さびしく笑って言いました。
「なにを言うのだ。
おれはお前の手でしばってもらおうと思ったからこそ、わざわざここまでやって来たのではないか。
さあ、おれを捕まえて、お前の手柄にしてくれ」
「しっ、しかし・・・」
「おれの事を今でも友だちと思っているなら、おれを捕まえてくれ」
「・・・わかった」
こうして新衛門に捕まった浪之介は、小伝馬町(こでんまちょう)の牢(ろう)に入れられました。
ところがその夜、番人が見回りに行くと新衛門はにっこり笑って、
「新衛門どのに、くれぐれもよろしく」
と、言い残し、見回りの見ている前でスーッと消えてしまったのです。
浪之介の座っていた牢の床は、不思議な事に海の水でビッショリと濡れていたそうです。
海で死んだ浪之介は、死んでも約束通り友だちの新衛門に会いに来たのでした。
おしまい