7月17日の百物語
幽霊の頼み
大阪府の民話
むかしむかし、大阪の上本町(うえほんまち)に、夜になると若い女の幽霊が現れて、道行く人々を追いかけるという噂がたちました。
ある夜ふけの事、十作(じゅっさく)という侍が五平(ごへい)というお供を連れて歩いていると、
「お待ちください、お待ちください」
と、後ろから呼び止める声がしました。
声は若い女の様ですが、十作が振り向いても五平しかいません。
「はて、おかしいな? 誰もおらぬぞ。・・・五平、お前には聞こえなかったか?」
すると五平は、恐ろしそうにブルブルと震えながら答えました。
「はい、聞こえました。うらめしそうな、女の声です。これは町の者たちが噂をしている幽霊(ゆうれい)かもしれません」
「うむ。声はすれども、姿は見えぬか。幽霊なら一度見てみたいが、どうやら、わしの様な田舎侍には、幽霊も姿を見せぬのだろう」
十作はそんな冗談を言いながら、また夜道を歩き出しました。
「お待ちください、お待ちください」
また、呼ぶ声が聞こえます。
十作が再び振り返ると、今度は道の真ん中に、二十歳ぐらいの女の人が立っていました。
顔は青ざめて髪を乱しており、腰から下は暗くてよく見えません。
十作は平気でしたが、五平は驚いてすぐに十作の後ろに隠れました。
十作は、腰の刀に手をかけながら言いました。
「お主、何の用があって呼び止めるのじゃ? ・・・動くな! それより近くに寄れば、切り捨てるぞ!」
すると、女の幽霊が答えました。
「お待ち下さい。
わたしは、この近くの者です。
あるお店の旦那さまと恋仲になりましたが、その旦那さまの奥方(おくがた→奥さん)にうらまれて殺されたのです。
夜ごとこの辺りを歩いては人を呼ぶのですが、みな、わたしを見ると逃げてしまいます。
でも、あなたさまは足を止めてくださり、うれしゅうございます。
どうか、わたしの力になってください」
幽霊の目から、いくすじも涙がこぼれています。
「うむ。話は分かったが、力になってくれとはどういう事じゃ?
まさかわしに、その奥方へ仕返しをしてくれと言うのではなかろうな。
そんな事は、ごめんこうむる」
「・・・・・・」
「図星か。
悪い事は、言わぬ。
もう誰も、うらまない方がよい。
仕返しをしても、うらみを持つ者を増やすだけだ。
・・・しかしまあ、ここで出会ったのも何かの縁。
わしがそなたをねんごろにとむらってやるから、うらみごとは忘れて成仏するといい」
十作が言うと、女の幽霊はうなづきました。
「わかりました。
うらみは、忘れる事にします。
けれどもその前に、お頼みしたい事があるのです。
実はわたしのお腹には、子が宿っております。
わたしは死んでいるのに、お腹の子がどんどん大きくなり、苦しくてなりません。
どうかその刀で、わたしのお腹を切り裂いて、お腹の子どもを出してほしいのです」
「なんと・・・」
さすがの十作も、これには驚きました。
幽霊の腰から下は暗くてよくはわかりませんが、そう言われれば、なんとなくお腹の辺りが膨らんでいるようにも思えます。
「いくら幽霊とはいえ、そんな事は、わしには出来ぬ」
十作は断ると、そのまま立ち去ろうとしました。
すると幽霊は、それこそうらめしそうな声で言いました。
「お腹を切り裂いてくださらねば、わたしは永遠に苦しむ事になります。そうなればいつまでも、あなたさまをおうらみしますよ」
身の上を聞いてやったのにうらまれるとは、これこそ逆うらみです。
十作は腹が立ちましたが、でも永遠に苦しむのは確かに気の毒です。
「・・・よかろう。その願いを、かなえてやろう」
十作は決心をすると、脇差しを抜いて幽霊の半分見えないお腹の辺りに当てました。
そして脇差の切っ先を突き入れると、ぐいと横に引きました。
わずかに水を切る様な手ごたえを感じましたが、幽霊のお腹からは血も出ないので切った気がしません。
(これでよいのか?)
すると幽霊が、ほっとした顔でお礼を言いました。
「ああ、ありがとうございました。これですっかり、楽になりました」
そして幽霊は、かき消す様に消えました。
「うむ、成仏せいよ」
十作は刀をしまうと、まだ震えている五平を連れて家へと帰りました。
その後、十作がこの道を通る事はありませんでしたが、幽霊はすぐには成仏出来なかったのか、次の夜から元気の良い赤ん坊の泣き声と、その子をあやす若い女の声が何年も聞こえたという事です。
おしまい