7月30日の百物語
寝覚の淵の主
長野県の民話
むかしむかし、木曽川(きそがわ)のほとりの寝覚(ねざめ)の里には、年に一度、若い娘のいる家に白羽の矢が飛んできて、それが刺さった家の娘を淵(ふち)に住む主への生け贄に捧げなければならなかったのです。
そうしないと悪い病が流行ったり、大切なそばの実が一粒も実らなかったりするのです。
ある年の事、今年も一軒の家の屋根に白羽の矢が刺さりました。
その家にはおじいさんとおばあさん、そして一人の若い娘がいたのです。
三人は矢が立った事を知ると、とても悲しみました。
ちょうどその頃、小川(おがわ)の里に、一人の行者(ぎょうじゃ→修行僧)が住んでいました。
全国を巡って修行を積み、大変な法力を持っているとのうわさです。
おじいさんとおばあさんは行者を訪ねて、懸命にお願いしました。
「どうか娘を、お助け下され」
話を聞いた行者は祭壇(さいだん)に向かってお祈りをして、こんなお告げを言いました。
「七日の間に、イノシシを一頭捕ってくるのじゃ。そうすれば、主を倒せるかもしれぬ」
おじいさんとおばあさんは急いで山へ行くと、イノシシを求めて山中を歩き回りました。
そして七日目の昼に、ようやく一頭のイノシシを捕まえたのです。
おじいさんとおばあさんが行者のところへイノシシを持って行くと、行者は太く長い藤づるの綱と、太く大きな釣り針を用意して、これにイノシシを結びつけて寝覚の里へと出かけて行きました。
さて、淵には主退治の噂を聞きつけた村人たちが、次々と集まって来ました。
行者は頃合いを見て、藤つるに結んだイノシシを淵へと投げ込みました。
すると淵の水が激しく渦巻き、綱がものすごい勢いでどんどん淵の中へと引き込まれたのです。
「それ、かかったぞ! 綱を引け!」
行者の声に、村人たちが力を合わせて綱を引っ張りました。
すると淵の底からも、何者かがすごい力で綱を引っ張り返します。
「負けるな! ここで逃せば、二度と捕まえられんぞ!」
そのうちに風も出て来て淵の周りは嵐の様に荒れ狂いましたが、村人たちは今までのうらみとばかりに必死になって綱を引っ張りました。
さて、長い引っ張り合いが続いて、淵の綱を引き込む力が弱まったかと思うと、嵐もだんだんおさまってきました。
「今じゃ、一気に引き上げい!」
行者の合図で、村人たちは掛け声を合わせて綱を一気に引き上げました。
こうしてやっと引き上げた物は、何と牛よりも大きな大山椒魚(おおさんしょううお)だったのです。
「こいつが、淵の主の正体だ!」
行者は杖を大きく振り上げると、大山椒魚の頭に振り下ろしてとどめをさしました。
それからは白羽の矢が立つ事もなくなって、村人たちは平和に暮らしたのです。
おしまい