8月2日の百物語
お化け車
滋賀県の民話
むかしむかし、近江の国(おうみのくに→滋賀県)の甲賀(こうが)という町に、不思議な物が現れる様になりました。
それは木の車で、夜になるとどこからともなくやって来て、
「ギィーッ、ギィーッ」
と、音を立てながら、通り過ぎて行くのです。
「あれはきっと、お化け車に違いない。お化け車を見た者は、ひどいたたりがあるそうだ」
町の人たちは日が暮れるとすぐに家の戸を閉めて、めったに外へ出なくなってしまいました。
この町に、とても気の強いおかみさんがいました。
「情けないね。
何を、びびってんだよ。
お化けを見たぐらいで、たたりがあるもんかい。
それに本当のお化けかどうか、怪しいもんさ。
よし、あたしが正体を確かめてやるよ」
おかみさんは夜中にこっそり起き出して、表の戸を細めに開けてお化け車が来るのを待ちました。
それからしばらくすると、どこからともなく車のきしむ音が聞こえてきました。
「ギィーッ、ギィーッ」
おかみさんは戸のすき間に目を当てて、じっと息を殺して見つめていました。
「あれっ?!」
おかみさんは思わず、小さな声をあげました。
髪の毛を背中まで伸ばした白い着物姿の女が、たった一つしか車輪のない車に座っていたからです。
その車は、引っ張る人もいないのに、
「ギィーッ、ギィーッ」
と、音を立てながら進みます。
おかみさんがじっと見ていると、その車が家の前で止まりました。
白い着物の女は、おかみさんにニヤリと笑いかけて、ぞっとする様な声で言いました。
「よくも、わたしを見たね。・・・そのつぐないに、お前の赤ん坊をもらうよ」
「何だって!」
おかみさんがあわてて部屋に戻ると、さっきまでそこに眠っていた赤ん坊の姿がありません。
「大変だー! 誰かー!」
おかみさんの声を聞きつけて、家の者がやって来ました。
「どうした!? 何があった!?」
「赤ん坊が、赤ん坊が・・・」
おかみさんが外を指差すので旦那があわてて外へ飛び出しましたが、外にはお化け車も赤ん坊もいませんでした。
「あたしは、とんでもない事をしてしまったよ」
おかみさんは旦那に泣いて謝ると、泣きながら自分の気持ちを紙に書いて表の戸に張り付けました。
《悪いのは、車を見たこのわたしです。
赤ん坊には、何の罪もありません。
わたしは、どんなひどいたたりでも受けます。
地獄へ落とされても、構いません。
ですから、赤ん坊だけは返してください》
すると次の晩、あのお化け車が再びやって来て、おかみさんの家の前で止まりました。
それを知ったおかみさんは、飛び出したい気持ちを必死でこらえました。
今度も女の姿を見たら、赤ん坊が殺されてしまうかもしれないからです。
ところが張り紙をじっと見ていたお化け車の女は、急に悲しそうな顔になってつぶやく様に言いました。
「なんと優しい、母の心だろう。
わたしにもこんな母がいれば、今頃は・・・。
赤ん坊は返すまいと思っていましたが、今度だけは返してあげましょう」
戸の内側でこれを聞いたおかみさんは、あわてて自分の部屋へ駆け込みました。
するとそこには、赤ん坊がいつもの様にすやすやと眠っていたのです。
「ありがとうございました」
おかみさんは遠ざかるお化け車のきしむ音に、深々と頭を下げて手を合わせました。
その時から、この町にはもう二度と、お化け車が来なくなったそうです。
おしまい