8月16日の百物語
長崎の幽霊寺
長崎県の民話
むかしむかし、長崎市の西坂町(にしさかちょう)にある本蓮寺(ほんれんじ)に、日親(にっしん)という坊さんがやって来ました。
このお寺は元々、サン・ジュアン・パプチスタ寺といい、キリシタンの人たちがお祈りをする教会で、身寄りのない子どもたちやお年寄りたちの世話もしていました。
ところが、天正十五年の事。
天下人になった豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、
「人の平等を訴えるキリシタンが増えると、国の為にならん」
と、厳しく取り締まって、キリシタンをはりつけにしたり、教会を焼き払ったりしました。
パプチスタ寺の人たちは役人に許しを求めましたが聞き入れてもらえず、ある日、子どもやお年寄りも、キリシタンというキリシタンは次々と井戸に投げ込まれていきました。
このパプチスタ寺の跡に造られたのが、本蓮寺(ほんれんじ)なのです。
そして多くのキリシタンの命をのんだ井戸は、そのまま庭に残されていました。
さて、本蓮寺に来て間もなく、日親はこの寺にある《寝返りの間》のうわさを耳にしました。
「井戸のそばの部屋で寝ると、東向きに寝たはずが、朝には西向きになっている。何でも夜中に幽霊(ゆうれい)が、ふとんを動かすらしいぞ」
「いや、それだけではない。寺の者が寝静まると、井戸の底からキリシタンのうめき声が聞こえて来るそうだ」
この為、寝返りの間には、誰も泊まる者がいないというのです。
坊さんながら、刀や槍をこころえる日親は、
「キリシタンの幽霊とは、面白い。人に害をなすものなら、わしがやっつけてやる」
と、寝返りの間で泊まる事にしました。
この部屋の入口は《南蛮杉戸(なんばんすぎど)》と呼ばれるついたてで、一人のお年寄りの姿が描かれています。
「何だか、気味の悪い絵だな」
日親は刀を枕元に置くと、横になりました。
この夜遅く、日親がうとうとしていると、庭の井戸の底から大勢のうめき声や、泣きわめく声が聞こえてきました。
そして間もなく、ミシッ、ミシッと、かすかな足音がして、部屋の中を誰かが動き歩いている気配がします。
「だ、誰だ!」
日親は起き上がると、刀をつかみました。
見てみると、戸に描かれていたお年寄りが絵から抜け出し、目をランランと光らせながら、一歩、また一歩と、迫って来るではありませんか。
「出たな化け物! えいっ!」
日親は幽霊の光る目に、刀を突き立てました。
日親が覚えていたのは、そこまでです。
気がついた日親は高い熱を出して、何日も苦しんだ末に死んでしまいました。
そして絵から抜け出した年寄りの幽霊は戸に戻っていましたが、その目は無惨にも、えぐられたままでした。
この事が広まると、本蓮寺の寝返りの間の南蛮杉戸の絵は寺の名物になって、大事にされてきました。
けれど昭和二十年の夏、長崎に落とされた原子爆弾で焼かれてしまい、今は見る事が出来ません。
しかし井戸は《南蛮幽霊井戸》と呼ばれて、今も残っているのです。
おしまい