9月2日の百物語
ヌエ(鵺)
京都府の民話
むかしむかし、仁平(にんぴょう)三年(1153年)の春の事。
京の都の御所の林に、夜になると「ヒョーヒョー」と鳥の様な気味の悪い声で鳴く、ヌエという怪しげな妖怪が現れる様になりました。
その泣き声を聞いた者は体調を崩すと言うので、困った役人たちは源頼政(なみもとのよりまさ)という弓の名手にヌエ退治を頼みました。
五月二十日、ヌエ退治にやって来た頼政は役人たちと一緒に林へ行くと、ヌエが現れるのを待ちました。
やがて夜もふけて、辺りが深い闇に包まれます。
いつもならヌエが鳴く時間ですが、どうした事かヌエが鳴きません。
心配した役人たちが、ひそひそと話しをしました。
「今夜は、鳴かないな」
「弓を構えた頼政殿がいるので、ヌエも警戒しているのだろう」
「鳴かなくては、こんな暗闇でヌエを見つける事は出来ないぞ」
「さしもの頼政殿も、これでは無理だな」
しかし頼政には、ある考えがありました。
頼政は大きなうなりをつけた矢を取り出すと、天空に向けて放ちました。
ビュュュューーーーー!
矢は大きな風音をたてて、闇の中へ吸い込まれていきました。
するとその音に驚いたのか、ヌエが羽音をたてて真っ暗な空へと舞いあがったのです。
頼政はその羽音を確かめると、すかさず二の矢を放ちました。
ヒューーン!
ドサッ!
二の矢は闇の空を飛んで、空を飛んでいたヌエを見事に射落としました。
頼政の見事な腕前に、どっと歓声があがります。
人々はさっそく射落とされたヌエのそばに駆け寄り、その奇妙な姿を見てびっくりです。
そのヌエの姿とは、頭はサル、体はタヌキ、手足はトラ、そして尻尾はヘビだったのです。
「鳴き声からヌエとは鳥の様な物と思っていたが、この様な姿であったのか」
「よし、持ち帰って都の人々にも見せてやろう」
そこで役人たちは、このヌエを京の町の人々に見せる事にしました。
ところがそれからすぐに、疫病がはやりだしたのです。
「この疫病は、ヌエのたたりかも知れない」
「死んでも、人に害をなすとは」
恐れた役人たちは、死んだヌエを川へ流しました。
そしてそれが流れついたのが、大阪の都島でした。
京からの噂を聞いていた都島の人たちは、たたりを恐れて、すぐにヌエを塚に埋葬しました。
それが今も大阪の地下鉄都島駅の商店街裏手に残る、都島のヌエ塚だと言われています。
おしまい