9月14日の百物語
お歯黒べったり
むかしむかし、ある村に、重兵衛(じゅうべえ)といういたずら好きの若者がいました。
ある寒い日の早朝、重兵衛は山の向こうの町へ買い物に行く為に、まだ暗いうちに家を出ました。
そして薄暗い山道を登っていると、前の方から何やらごそごそと音がします。
「はて、何の音だろう?」
立ち止まってよく見ると、一匹のキツネが土を掘っているのです。
「ははーん、あのキツネだな。いつも村に来て悪さをするのは。よし、ひとつおどかしてやろう」
重兵衛は道に捨てられた馬ぐつを拾うと、キツネめがけて投げつけました。
ヒューーッ、ドサ!
馬ぐつは、キツネの足元に落ちました。
「キャン!」
びっくりしたキツネは大きく飛び上がり、崖から足を滑らせて谷川へ落ちて行きました。
重兵衛が谷川をのぞいてみると、キツネは川の中で苦しそうにもがいていましたが、それでも何とか向こう岸へはい上がって山の中へ逃げて行きました。
「ははーん。ざまあーみろ! さあ、早く買い物をすませて、みんなにキツネ退治の自慢話をしてやろう」
町で買い物をすませた重兵衛は大急ぎで帰りましたが、冬は日が暮れるのが早くて、キツネが落ちた崖のそばまで来た時にはすっかり暗くなっていました。
「よわったぞ。どこかに明かりを貸してくれるところはないだろうか?」
辺りを見回すと、遠くにポツンと明かりが見えます。
「ありがたい。あの家で、ちょうちんでも借りよう」
重兵衛が明かりをたよりに進んで行くと一軒の家があり、中をのぞくとおばあさんがいろりの前でお歯黒をつけていました。
お歯黒とは歯を黒く染めるお化粧の事で、むかしの女の人は結婚するとこれをつけていました。
お歯黒には歯を丈夫にする効果があるので、おばあさんの口の中には丈夫そうな歯がずらりと並んでいました。
「すみません。
おらは、この先の村の重兵衛という者だが、この夜道に足元が見えずに困っています。
たいまつかちょうちんを、貸してくださらんか?」
重兵衛が声をかけましたが、おばあさんは知らん顔です。
(はて、このばあさん、耳が遠いのかな?)
重兵衛が大声でもう一度同じ事を言うと、やっとおばあさんがこっちを向きました。
「ここには、たいまつもちょうちんもないよ」
「そうですか。それじゃ、夜道は危なくて歩けないから、今夜一晩泊めてくだされ」
「布団はないが、まあ、いろりにでもあたっていけ」
そう言っておばあさんは、いろりにまきをくべました。
「ありがてえ。おら、もう寒くて、体が凍えそうだったんだ」
家に入った重兵衛は、おばあさんと向かい合っていろりの前に座りました。
「なあ、ばあさん。ここには、一人で住んでいるのか?」
「・・・・・・」
「こんな山の中じゃ、何かと大変だろう?」
「・・・・・・」
おばあさんは返事をせず、歯をむき出して、もくもくとお歯黒をつけています。
(けっ、気味の悪いばあさんだ)
なんだか怖くなってきた重兵衛は、なるべくおばあさんの顔を見ない様に、うつむいていました。
そのうちにまきが燃えつきて、火が消えそうになってきました。
「ばあさん、まきはないのか?」
そう言って顔をあげると、おばあさんはニヤリと笑って言いました。
「どうだね。お歯黒は、うまくついたかね?」
そのまっ黒な歯を突き出したおばあさんの顔には、なんと目も鼻もありませんでした。
「うひゃーーーっ!」
重兵衛はびっくりして、後ろに飛びのきました。
するとそのとたんに体が宙に浮いて、谷川へまっさかさまに落ちていったのです。
「た、た、助けてくれえ〜!」
重兵衛は谷川を必死で泳ぎ、なんとか無事に川からはい上がりました。
すると崖の上から一匹のキツネが下を見下ろして、
「ケン、ケン、ケン。コーーン!」
と、楽しそうに笑っていたと言う事です。
おしまい