11月6日の百物語
殿さまを襲ったネコ
東京都の民話
むかしむかし、江戸(えど→東京都)に有馬(ありま)という殿さまの屋敷がありました。
ある春の夜、殿さまが便所(べんじょ)へ行っての帰り、おぼろ月をながめながら渡り廊下を歩いていると、何者かが後ろから駆け寄って来ました。
「何者!」
殿さまが振り向いた時、相手は両手で殿さまの首をしめつけてきたのです。
それは見た事もない老婆(ろうば)で、髪をふり乱し、キバをむいて首をしめつけてくるのです。
老婆とは思えない力に、殿さまの顔からみるみる血の気がなくなっていきました。
しかし殿さまはあわてる事なく、首をしめつける手を払いのけると、刀を抜いて老婆に切りつけました。
「フギャーー!」
老婆は叫び声の代わりに、ネコの様な無気味なうなり声を残して走り去りました。
「殿、いかがなさいましたか?」
騒ぎを聞きつけた家来が、明かりを持って駆けつけました。
「何者かが、わしの首をしめようとしたので、切りつけたら逃げて行きおった。わしは大丈夫だから、いたずらに騒ぐでないぞ」
殿さまはそれだけ言うと、何事もなかった様に部屋へ戻って行きました。
翌朝、殿さまは家老(かろう)を呼び出してたずねました。
「家来の中で、まだ出仕(しゅっし→勤めに出る事)していない者はないか?」
「ゆうべの事と、何かかかわりでもあるのでしょうか?」
「・・・・・・」
家老の問いに、殿さまは何も答えませんでした。
家老が調べると、同じ家老仲間である角田要助(つのだようすけ)という男が、まだ出仕していない事がわかりました。
そしてすぐに、角田の家へ使いを出したところ、
「実は昨夜、母が急病で倒れて、今も起きる事が出来ないのです。すぐ医者を呼び寄せましたが、どういうわけか母は部屋にひきこもり、誰も中へ入れてくれずに困っているのです」
と、言うのです。
家老はその事を、殿さまに伝えました。
すると殿さまは要助(ようすけ)を呼び出して、ゆうべの出来事を伝えました。
「すると殿は、その老婆がわたくしの母ではないかと?」
要助が顔色を変えてたずねると、殿さまは首を振って言いました。
「いや、そうだと言っているのではない。ただ世間(せけん)のうわさでは、化け物が老人にとりつく事があるという。そちの母も、とくと気をつけよ」
「・・・かしこまりました」
おとなしく引き下がったものの、要助は不愉快でした。
(いくら殿でも、母上を化け物あつかいするとはあんまりだ。この上は母上の容体(ようたい)を見極めて、殿に申し開きをしなくては気がおさまらぬ)
そこで要助は家に戻るなり、母親の寝ている部屋に駆けつけました。
「誰じゃ? 誰もここに近づいてはならぬと言ったであろう!」
母親の声に、要助が答えました。
「要助でございます。どうしても母上の容体を見届けたくて、参りました」
「ならぬ! たとえ我が子でも、中へ入る事を許さん。早く立ち去れ!」
「しかし、母上にもしもの事があればどうなります。ご病気なら、医者にも診せなくては」
「心配はいらん。二、三日休んでいれば、きっとよくなる」
「ですが」
「ならぬと言っておるだろう!」
要助がいくら頼んでも、母親は中へ入る事を許してくれません。
(あの心優しい母上が、これほどまでにこばむとは。・・・これはもしかして、殿の言う事が本当かもしれない)
がまん出来なくなった要助は、戸を開けて中へ飛び込みました。
「これほど言っても、まだわからんのか!」
母親が怖い顔で要助をにらみつけましたが、要助はそのまま母親の布団(ふとん)を引きはがしました。
「ごめん!」
すると布団には、黒々と血の跡がついているではありませんか。
よく見ると母親は右の肩に大きなけがをしていて、着物の上まで血がにじみ出ています。
「これは、ひどい」
その時、要助の頭に、殿さまを襲う老婆の姿が浮かびました。
(しかし、まさか母上にかぎって。それにそもそも、母上には殿を襲う理由はないではないか。だがそれにしても、なぜ大けがを隠すのだ?)
要助には母親のあやしげな態度が、どうしても納得出来ません。
「どこで、こんな大けがをしたのです」
要助があらためて母親にたずねると、母親は黙ったまま要助をにらみつけます。
目がらんらんと光り、今にも飛び掛ってきそうです。
いかに病気とはいえ、こんなに恐ろしい母親の顔を見たのは初めてです。
(もはや、これまでだ。もし本当に母上であったなら、自分も腹を切って母上の後を追おう)
要助は覚悟を決めると、刀を抜いて母親に切りつけました。
「ギャオォォォー!」
母親がすさまじい叫び声をあげて起き上がろうとするところを、要助は胸元めがけて力一杯刀を突き刺します。
「なんて事を」
叫び声を聞いて駆けつけた家の者たちは、腰を抜かさんばかりに驚きました。
要助は刀を持ったまま、母親の死骸(しがい)を見つめていました。
すると不思議な事に、母親の体はだんだんと形がくずれてきて、やがてネコの姿が現れたのです。
そのネコは、頭から尻尾の先まで三尺(→約一メートル)ほどもある古ネコでした。
「やっぱり、母上ではなかったか」
気をとりなおした要助は、家の者たちに命じました。
「今から殿のところへ行く。わたしが帰って来るまで、この事は秘密にしておけ」
殿さまの屋敷へ行った要助は、殿さまに会うなり頭を下げました。
「角田要助(かくたようすけ)、殿の眼力(がんりき)には、ほとほと感服(かんぷく)つかまつりました」
そしてこれまでの事を、殿さまに詳しく報告しました。
話をじっと聞いていた殿さまが、要助に言いました。
「やはり、そうであったか。
だがこの事は、決して他人にもらすでないぞ。
母は、病死という事にしておけ。
・・・それから、化け物とはいえ、母の姿をした者に刀を向けるのはつらかったであろう。
すまぬ、どうか許してくれ」
これを聞いて、要助はあらためて殿さまの思いやりに感謝しました。
再び家に戻った要助は、家の者に命じてネコの死骸(しがい)を片付けると、母親の部屋の床下を掘らせてみました。
すると要助の思った通り、床下からガイコツになった母が出てきました。
骨の様子から見て、数年はたっています。
要助うかつにも母親を食い殺したネコを、今まで本当の母親と思ってつくしてきたのです。
「母上、どうぞお許しください」
要助は一つ残らず母親の骨を拾って、骨(こつ)つぼにおさめました。
要助はせめてもの供養(くよう)にと、近くの寺で盛大(せいだい)な葬儀(そうぎ→そうしき)を行いました。
葬儀には殿さまもわざわざ来てくれて、要助の母親の為に手を合わせてくれました。
おしまい