きょうの日本民話
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2009年 1月23日の新作昔話
テングの腕比べ
京都府の民話
むかしむかし、中国に、チラエイジュというテングがいました。
このテングが、はるばると海の上をとんで日本にやってきました。
そして、日本のテングにいいました。
「わが中国の国には、偉い坊さんがたくさんいるが、われわれの自由にならぬ者は一人もいない。日本にも修行をつんだ偉い坊さんがいると聞いたので、わざわざやってきたのだ。ひとつその坊さんたちにあって、腕比べをしたいと思うが、どうであろう」
中国のテングは、偉そうな態度で言いました。
日本のテングは、その態度に腹を立てましたが、しかしそんなそぶりは見せず、丁寧な口調で言いました。
「それは、それは。遠いところを、わざわざごくろうさまです」
実は日本には、名僧、高僧といわれるような偉い坊さんがたくさんいて、テングたちよりも強いのです。
そこでこのごうまんな中国テングに、ギャフンと言わせてやろうと思ったのです。
「いや、この国の偉い坊さんといっても、あまり大した事はありません。我々でも、こらしめてやろうと思えばいつでも出来ます。しかし、せっかく遠い国からこられたのですから、適当な坊さんを、二、三人お教えしましょう。どうぞ、わたしと一緒においでください」
そういって日本のテングは、中国のテングを連れて比叡山(ひえいざん)にやってきました。
そこは、京都から比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)にのぼる道です。
「わたしたちは人に顔を知られているから、あの谷のやぶの中にかくれておりましょう。あなたは年寄りの法師に化けて、ここを通る人をこらしめてくだされ」
そういうと日本のテングは、さっさとやぶにかくれてしまいました。
そして、中国のテングの様子をうかがっていました。
中国のテングは、見事な老法師(ろうほうし)に化けました。
しばらくすると山の上から、余慶律師(よぎようりつし)という坊さんが手ごしにのり、たくさんの弟子たちをしたがえて京都の方におりてきました。
余慶律師の一行は、しだいに近づいてきました。
(さて、いよいよだぞ)
しかし、ふと中国のテングの方を見ると、もう姿が見えません。
余慶(よぎよう)の方は何事もないように、しずかに山をくだって行きました。
(おかしいな、どこへ行ったんだ?)
そう思いながら中国のテングの探すと、なんと南の谷に、お尻だけ上に突出して、ブルブルとふるえているではありませんか。
日本のテングは、そこへ近寄ると、
「どうしてこんなところに、隠れておられるのか?」
と、たずねました。
すると中国のテングは、わなわなとふるえる声で、
「さっき通ったお方は、どなたじゃ?」
と、たずねました。
「余慶律師という、お方でござる。それより、なぜこらめしてはくださらんのじゃ?」
日本のテングが言うと、中国のテングは頭をかきながら、
「いや、そのことでござる。ひと目見て、これがこらしめるという相手だとすぐにわかった。そこで立ち向かおうとしたのだが、なんと相手の姿は見えず、手ごしの上は一面の火の海。これはとうていかなわぬと思って、かくれたというわけでござる」
それを聞いた日本のテングは、心の中でニヤリと笑いました。
(やはり、中国のテングといっても、たいした事はない)
しかし、まじめくさった顔をしていいました。
「はるばると中国の国からやってこられて、これしきの者さえ、こらしめることが出来ないとは。今度こそは、必ずこらしめてくだされ」
「いや、いかにも、もっともでござる。よし、見ておられい。今度こそは必ず、こらしめてごらんにいれよう。ふん!」
中国のテングは気合を入れると、また老法師に化けました。
しばらくすると、また手ごしにのった坊さんが、山をおりてきました。
それは、深禅権僧正(しんぜんごんそうじょう)という坊さんで、手ごしのすこし前には、先払いの若い男が太いつえをついて歩いています。
日本のテングは、やぶの中からじっと見ていました。
中国のテングは手ごしの近づいてくると、通せんぼするように立っていましたが、先払いの若い男がこわい顔をして太いつえをふり上げると、思わず頭をかかえて、そのまま一目散に谷にかけおりました。
「いかがなされた。また、逃げてこられたではないか」
日本のテングは、やぶの中から声をかけました。
すると中国のテングは、苦しそうに息をはずませながら、
「無理なことをいわれるな。手ごしの方どころか、あの先払いにさえ近寄ることが出来ぬわ」
「そんなに、おそろしい相手でござるか」
「いかにも。わしの羽の早さは、はるか中国から日本までひといきに飛ぶことが出来るぐらいだが、とても、あの男の足のはやさにはかなわぬ。もしつかまったら、あの太い鉄のつえで頭をぶちわられてしまうわ」
「さようか。では次こそ、がんばってくだされ。せっかく日本までこられたのに、手柄話ひとつなしに帰られたとあっては、めんぼくないことではござらぬか」
日本のテングはそういうと、さっさとやぶの中に入ってしまいました。
中国のテングはしかたなく、次にくる坊さんを待つことになりました。
しばらく待っていると、下の方からたくさんの人が山をのぼってくるのが見えました。
先頭には、赤いけさをきた坊さんがのぼってきます。
その次には、若い坊さんが立派な箱をささげてつづきます。
その後ろから、こしにのった人が山をのぼってきたのでした。
そして、こしの左右には二十人ぐらいの童子たちが、こしをまもるようにしてついています。
このこしにのっている人こそ、比叡山延暦寺の慈恵大僧正(じえだいそうじょう)で、一番偉い坊さんだったのです。
日本のテングは、やぶの中からそっと、あたりを見まわしました。
しかし中国のテングの老法師の姿は、どこにも見えません。
「また逃げたかな。それとも、どこかに隠れて、すきをねらっているのかな」
すると童子たちの中の一人が、大声で話しているのが聞こえてきました。
「こういう所には、とかく仏法(ぶっぽう)のさまたげをする者がひそんでいるものだ。よく探してみようではないか」
すると元気のいい童子たちは、手に手に棒きれを持って、道の両側にちらばっていきました。
見つけられては大変と、日本のテングは、やぶの中ふかくもぐっていき、そっと、いきをひそめていました。
と、谷のすぐ向う側で、童子たちのどなっている声が聞こえてきました。
「そら、ここにあやしい者がいるぞ。ひっとらえろ!」
「なんだ、だれがいたのだ?」
「おいぼれの法師が、隠れていたぞ。あの目を見ろ、普通の人間には見えぬぞ」
(大変だ。中国のテングが、とうとう、つかまったぞ)
日本のテングも、おそろしさに、ただ頭を地にすりつけるようにして、じっとひれふしていました。
やがて足音が、遠ざかっていきました。
日本のテングは、そっと、やぶからはいだすと、あたりを見まわしました。
すると十人ばかりの童子たちが、老法師姿の中国テングをとりまいているのが見えました。
「どこの法師だ、名前をいえ。なんの用があって、こんなところに隠れていた!」
一人の童子が、大声でいいました。
中国のテングは大きな体を小さくして、あえぎあえぎ答えました。
「わたくしは、中国からわたってきた、テングでございます」
「なに、中国のテングか。何をしにきたんだ」
「はい、偉いお坊さんが、ここをお通りになると聞いて待っていました。一番始めにこられたお坊さんは、火界(かかい)の呪文を唱えておられたので、こしの上は一面の火の海でございました。うっかり近寄ろうものなら、こちらが焼け死んでしまいますので、一目散に逃げました。次にこられたお坊さんは、不動明王(ふどうみょうおう)の呪文を唱えておられたうえに、セイタカ童子が鉄のつえを持って守っておられました。それでまた、大急ぎで逃げました。今度のお坊さまは、おそろしい呪文はお唱えにならず、ただ、お経を心の中でよんでおられただけでした。それで恐ろしいとも思わなかったのですが、こうして、捕まえられてしまいました」
中国のテングが、やっとこう答えると、童子たちは、
「たいして、重い罪人でもなさそうだ。許して逃がしてやろう」
と、いって、みんなでひと足ずつ老法師の腰をふみつけると、向こうへいってしまいました。
慈恵大僧正(じえだいそうじょう)の一行が山をのぼっていってしまうと、日本のテングはそっと、やぶの中からはいだしてきました。
そして腰のあたりをさすっている、中国のテングのそばにいきました。
「いかがなされた。今度は、うまくいきましたかな?」
日本のテングは、しらぬ顔でききました。
すると中国のテングは、目に涙を浮かべながら答えました。
「そんな、ひどいことをいってくださるな。さながら、生き仏のような徳の高い名僧たち相手に、勝てるはずもないではないか」
「ごもっともでござる。しかし、あなたは中国という大国のテングではござらぬか。それゆえ、日本のような小国の人など、たとえ高僧、名僧とはいっても、心のままにこらしめることができると思うたまでのことでござる。が、このように腰までおられるとは、まことにお気の毒なことでござるわ」
日本のテングは、さすがに気の毒だと思い、中国のテングを北山にある温泉につれていきました。
そしておられた腰を温泉にいれてなおしてやってから、中国の国へおくりかえしてやったという事です。
おしまい
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