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2012年 6月22日の新作昔話

欲張り長者の衛門三郎(えもんさぶろう)

欲張り長者の衛門三郎(えもんさぶろう)
愛媛県に伝わる弘法大師話

 むかしむかし、伊予の国(いよのくに→愛媛県)の江原(えばら)の里に、衛門三郎(えもんさぶろう)という欲張りの長者がいました。
 三郎は金をもうけるために、今までに多くの人を不幸にしてきたのです。
 ある日の事、三郎の屋敷に、旅の弘法大師が現れました。
「もうすぐ、お前は今までの悪行の報いを受けるであろう。心を入れ替えるなら、何とかお前にふりかかる災いを取除いてやろう」
 しかし、突然現れた汚い身なりの大師に、三郎は、
「このくそ坊主! 縁起でもないわ! どこかへいけ!」
と、冷たく追い払ったのですが、それからもたびたびやってくる大師に腹を立てて、
「しつこい坊主め! これでもくらえ!」
と、三郎は棒で大師の鉄ばちを叩き割ったのです。
「・・・・・・」
 大師は八つに割れた鉄ばちを丁寧に拾い集めると、何も言わずに去って行きました。
 そしてその翌日から、八人いた三郎の子どもが次々と病気にかかり、八日の間にみんな死んでしまったのです。
 さすがの三郎も、愛する子どもをみんな無くした悲しみから、毎日大声で泣き叫んだそうです。
 さて、そんなある夜の事、三郎が眠っていると、夢枕に大師が現れて言いました。
「三郎よ、すべてはお前の悪業の報いじゃ。今までの行いを悔いて、情深い人間になれ。そして四国巡礼の旅に出るのじゃ。さすれば、お前の魂は救われるであろう」
 その声に、はっと飛び起きた三郎は、あのときのお坊さんが、弘法大師であったことに気がついたのです。
「大師さまー!」
 それから三郎は全ての財産を村人に分け与えて、四国巡礼の旅に出たのです。
 三郎は伊予(いよ)から讃岐(さぬき)へ、そして阿波(あわ)から土佐(とさ)へと寺々をめぐって、大師を探しました。
 雨風に打たれ、野宿をしながら、三郎は二十回も四国を巡り歩いたそうです。
 そして、何年が過ぎた事でしょう。
 三郎は長い旅に疲れて、見る影もないほどやせ衰えていました。
 やがて、阿波(あわ)の焼山寺(しょうさんじ)の門前で力つき、その場にばったりと倒れたのです。
(おれの命もこれまでか。ここまで頑張ってきたが、まだ罪が消えぬとは)
 三郎は薄れいく意識の中で、自分を呼ぶ声に気付きました。
「三郎よ、よくやった。これまでの巡礼の功徳(くどく)によって、ようやく今までの罪が全て消えたぞ。まことによくやった」
 その声に三郎がうっすらと目を開けると、一人のお坊さんが立っているではありませんか。
 そのお坊さんこそ、三郎が片ときも忘れたことのない、弘法大師だったのです。
 三郎は最後の力をふりしぼって、大師のそばへいきました。
 大師は三郎の手を握りしめると、温かい目で三郎に言いました。
「三郎よ、この世に最後の望みがあれば言うてみよ。何なりとかなえてやるぞ」
「ありがとうございます。今はもう望みはありませんが、出来る事なら、次の世では名門の家に生まれ、世の為、人の為につくす事の出来る人間になりとうございます」
 三郎の言葉に大師は深くうなずくと、そばにあった小石を三郎の手に握らせました。
 そして三郎はその石をしっかり握りしめて、息をひきとったのです。

 さて、次の年の七月、伊予(いよ)きっての豪族(ごうぞく)である河野家(こうのけ)に、玉の様な男の子が生まれた。
 ところが不思議な事に、この子は生まれた時から左手を握りしめたままで、いっこうに開こうとしません。
 そこで、安養寺(あんようじ)で大祈願祭(だいきがんさい)を行うと、子どもの手は一人でに開いて、中から小石が出てきたのです。
 そしてその小石には、衛門三郎(えもんさぶろう)という文字が刻まれていたという事です。
 それからのち、この子どもは立派に成長して国守(こくしゅ→大名)となり、伊予の国を立派に治めたのです。
 そして、ゆかりの寺も、手に石を握りしめて生まれたという話しから、『石手寺(いしてじ)』と改められ、今もその石は大切に残されているという事です。

おしまい

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