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第 6話
戦場ヶ原・神戦物語
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昔々、京の都に有宇中将(ありうちゅうじょう)」という若い公達がいました。
ところが、この公達は鷹狩が大好きで、そのため天皇の怒りに触れ、奥州(現在の東北地方)に左遷されてしまいました。
中将は小野の郷で暮らすようになり、朝日長者の娘・朝日姫と結婚して、六年後には男の子が生まれ『馬王(うまおう)』と名付けられました。
馬王は成長すると、『馬頭中納言(ばとうちゅうなごん)』と呼ばれるようになりましたが、ある日、彼は一人の侍女との間に子供をもうけました。
その子は家にいるよりも山野を駆け巡るのが好きで、弓の名人となりましたが、惜しいことに顔はまるで猿にそっくりで、人々からは『猿麻呂』と呼ばれていました。
さて、猿麻呂がたくましく成長した頃、中将と朝日姫はすでにこの世にはなく、下野の国(今の栃木県)二荒山の男体権現と女体権現に祭られて、日光権現となっていましたが、上野の国(今の群馬県)の赤城山の神が悪心を起こし、中禅寺湖を奪おうと攻めてきて、やがて大きな戦となりました。
赤城山の神は大ムカデの姿で、二荒山の神は大蛇(龍)の姿で戦いましたが、大ムカデが有利で大蛇(龍)は負けそうになりました。
その時、常陸の国(今の茨城県)の鹿島大明神が二荒山の神に「奥州に住む弓の名人・猿麻呂に助けを求めよ。」とアドバイスをしました。
それから間もなくある日、猿麻呂がいつものように熱借(あつかし)山で狩をしていると、突然一頭の白鹿が現れ、猿麻呂はそれを追いかけているうちにとうとう二荒山の日光権現の堂まで来てしまいました。
白鹿は女神(女体権現)の姿になって、
「猿麻呂よ、私はあなたの祖母です。あなたが生まれた頃には私達はもういなかったので、知らないでしょうが……。私が鹿に姿を変えて誘ってきたのは、お願いがあるからなのです。明日、最後の決戦があるので手助けをして欲しいのです。」
と、猿麻呂に言いました。
翌日猿麻呂が目をこらすと、赤城山の方からムカデの大群が押し寄せてきていました。
二荒山の方からは大蛇(龍)の群れが迎え撃ち、激しい戦いとなりましたが、やはりムカデが有利でした。
猿麻呂は頭に角の生えた大ムカデが、赤城山の神とにらみ、弓矢をつがえて大ムカデの左目めがけて放ちました。
矢は見事に大ムカデの左目を射抜き、日光権現に大勝利をもたらしました。
こうして、大ムカデと大蛇(龍)が戦った場所は『戦場ヶ原』と呼ばれるようになったのです。
おしまい
この物語は、福娘童話集の読者 山本様からの投稿作品です。
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