3月13日の日本の昔話
牛若丸
いまから、およそ八百年ほどまえのお話です。
京都のはずれの山の中に、はげしいふぶきの中をいそぐ母と子のすがたがありました。
おさない子ども二人と、そして母のむねには、一人の乳飲み子がだかれておりました。
そのころ、さむらいたちの二大勢力、源氏と平氏は、各地ではげしくたたかい、源氏の総大将、源義朝(みなもとのよしとも)は、ついに平氏の手によってたおされてしまいました。
義朝のつま、ときわは、まだおさない今若、乙若、そして牛若の三人の子をつれ、なんとか平氏の手のとどかないところへにげようとしたのです。
でも、とうとう平氏の武士たちに発見されて、平清盛(たいらのきよもり)の前につれだされたのでした。
清盛は、おさない子が源氏の大将義朝の子であることを知ると、すぐに首をはねるようにと命じました。
ところが、
「わたしの命はいりませぬ。そのかわり、どうかこの子たちの命だけはお助けくださいませ」
という、ときわのひっしのたのみに、心をうごかされた清盛は、子どもたちの命を助けることにしました。
そのかわり、七さいの今若、五さいの乙若はすぐに寺へ、そして牛若も、七さいになったらかならず寺ヘ入れるよう、母のときわにやくそくさせたのでした。
年月はまたたくまにすぎ、やがて清盛とのやくそくをはたさねばならないときがきました。
「牛若、そなたはもう七さい。寺に入って、りっぱなお坊さまにならなければなりませぬ」
「お母さま!」
こうして、七さいになったばかりの牛若は、やさしい母にわかれをつげなければならなかったのです。
「さびしいときは、お父さまが大切にしていた、このよこぶえをふきなさい」
牛若丸があずけられた寺は、くらまの山の中、うっそうとしげる木立の中にある、くらま寺でした。
牛若丸のきびしい修行生活がはじまりました。
あるとき、牛若丸が一人で勉強していますと、どこからか、牛若丸をよぶ声がします。
「わかさま、わかさま」
「わたしをよぶのは、だれじゃ?」
牛若丸がキョロキョロとあたりを見まわすと、見知らぬぼうずがすわっていました。
「わかさま、お目にかかれてうれしゅうございます。わたしは鎌田正近(かまたまさちか)と申す旅の僧。わかさま、よくお聞きくださいませ。あなたさまは、平氏にほろぼされた源氏の総大将、源義朝公(みなもとのよしともこう)のお子さまですぞ!」
「えっ、わたしがっ!」
「そうです、わたしも義朝公におつかえした身、義朝公は清盛の手によってころされたのです。あなたさまは、父ぎみのかたきをうち、おごる平家をこらしめなければなりません。そして、源氏一門をたてなおさなければなりませんぞ!」
なにもかも、はじめて聞く話でした。
牛若丸は、山の中へ走りこんで、一人でなみだを流しました。
それは、おさない牛若丸がせおいこむには、あまりにも重い運命でした。
そんな牛若丸を見ている、一人のテング(→詳細)がいました。
そのテングは、ヒラリと高い木からとびおりると、牛若丸のそばに立ちました。
「立て、小僧! 男の子がいつまでないておる。さあ、わしについてこい」
いうが早いか、テングはあっというまにすがたをけしてしまいました。
「あれ、どこいっちまったんだろう?」
見ると、そばの木に太刀(たち)がたてかけてあります。
「よし、テングのやつ、これでとっちめてやる」
太刀を持って木立の中をすすむ牛若丸の頭を、コツンとだれかがたたきました。
「いたい。だれだ!」
頭をかかえてふりむくと、またも、コツン。
また、コツン。
「わっはっはっは。小憎、それでは太刀があってもなんにもなりはせんぞ。それそれ、ぐずぐずしておると、またやられるぞ」
牛若丸は、あわてて太刀をひろい、こんどはしっかり目をすえて、身がまえました。
なにやらみょうなかげが、あっちへこっちへとびかいます。
よく見ると、たくさんのカラステングが、グルッと牛若丸のまわりをとりかこんでいました。
「な、なにものっ!」
テングたちは、牛若丸におそいかかります。
負けてはならじと、太刀をふりまわす牛若丸。
でも、あちらこちら、めったやたらなぐられてしまいました。
これではならじと牛若丸は、昼なお暗いくらまの山中で、もくもくと剣の修行にはげんだのです。
「それっ! 右だ! 左だ! 走れ! とべ! まわれ!」
テングのしどうで、牛若丸の剣のうではみるみるじょうたつしました。
それから何日かすぎた、ある月のかがやくばん。
「きえ〜っ!」
するどく切りこんできた、カラステングの太刀を、牛若丸は、ハッと打ちとめると、かえす刀ではげしくテングに打ちこんだのです。
「やった! やった! とうとうテングをたおしたぞ!」
牛若丸の剣のうでは、とうとうテングをたおすまでになりました。
その日いらい、もう牛若丸にかなうテングは一人もいなくなりました。
そんなある日、テングが牛若丸にこういうのです。
「わかさま、わたしどもがお教えすることは、もうなにもありません。このうえは、りっぱなおさむらいになられますよう」
そのテングたちも、源氏のことを思う義朝の家臣だったのでしょう。
くらま山で剣をならった牛若丸は、十五の年に、くらま寺からそっとすがたをけしたということです。
さて、ところかわってこちらは京都。
そのころ都では、夜な夜な、怪僧弁慶(かいそうべんけい)なる者がすがたをあらわし、通行人の刀をうばっては、これを一千本集める祈願(きがん)をたてているといううわさで、おそれられていました。
そして今夜が、その一千本めの日でありました。
ここは、五条大橋。
どこからともなく聞こえてくる、すんだふえの音。
ふえをふいているのは、あの牛若丸でした。
「なんじゃ、子どもか。子どもに用はないわい」
と、いった弁慶でしたが、牛若丸のこしにさした太刀を見たとたん、
「うむ、みごとな太刀じゃあ。この太刀なら、一千本めにふさわしい」
と、なぎなたを高くかかげ、牛若丸の前に立ちはだかりました。
「やいやい、その太刀、おいていけ!」
ところが牛若丸は、弁慶のそばをスルリと通りぬけていきます。
「ぬぬ、よし、わしのなぎなたを受けてみよ、それ!」
弁慶は、なぎなたをふりまわしますが、牛若丸は、ヒラリヒラリとかわしてしまいます。
ここと思えばあちら、あちらと思えばそちら。
牛若丸は、ヒョイととびあがりながら、手に持ったおうぎを投げました。
おうぎは弁慶のひたいにあたり、弁慶はひっくりかえってしまったのです。
「ま、まいりました!」
さしもの弁慶も、ガックリひざをついてあやまりました。
弁慶は、このときから牛若丸の家来となって、いつまでも牛若丸につかえました。
牛若丸は、のちに源九郎義経(げんくろうよしつね)となのって、兄の頼朝(よりとも)と力をあわせ、ついには壇ノ浦の戦いで、平氏をたおすことができたのです。
おしまい
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