きょうの日本民話
童話集 > 民話 > 7月

7月2日の日本民話

地獄めぐり

地獄めぐり
栃木県の民話

 むかしむかし、日光(にっこう)の寂光寺(じゃっこうじ)というお寺に、覚源上人(かくげんしょうにん)というお坊さんがいました。
 ある日のこと、上人(しょうにん)は横になって休んだままの姿で死んでしまったのです。
 でも、上人の体はまるで生きているようにあたたかでした。
 たしかに息もせず、心臓も止まっているのですが、ふつうの死人とは違います。
 人々はこまってしまい、どうしたものかと考えているうちに十七日が過ぎてしまいました。
 すると突然、上人がパッチリと目をあけたのです。
 上人は、心配そうに集まっていた人々を見まわして言いました。
「どうやら、わしは今まで死んでいたようだな。みなさん、ご心配をおかけしてすまなかった。実はわしは、たった今、めいどの旅から帰ってきたところなのじゃ。ちょうどよい、みなさんにぜひ話しを聞かせたい」
 そう言って上人は、不思議な話しを始めました。
「ふと気がついたわしは、雲にのってまっ暗やみの中を、どこまでもどこまでも進んでいったんじゃ。
 すると、ほのおにつつまれた山門(さんもん)があってな、そこにはが立っておった。
 これが有名な地獄門(じごくもん)だと、わしは思った。
 門をくぐるとそこはえんま堂でな、えんま大王の前には大勢いの人々がならんでおり、その人々をえんま大王がさばくのじゃ。
 一番前の男がえんま大王の前に引き出されると、こう言った。
『大王さま、あっしはじごくに落ちるようなことは、何もしちゃあいません』
 するとえんま大王は、おそろしい声でどなった。
『だまれ! お前はイヌを三匹、ネコを六匹、殺したであろう!』
『へい、たしかに。しかし、イヌやネコを殺しても、地獄へ落とされるんで?』
『当たり前だ! たとえ虫一匹とはいえ、命のありがたみは人間と同じ、おもしろ半分で殺せば罪となる。お前は地獄へ行き、五百年間、鉄棒でうたれつづけるがよい!』
 えんま大王がいうと鬼たちがやってきて、その男をひきたてていったんじゃ。
『つぎ、前に出い!』
『どうとでも好きにしろ! 地獄行きはかくごの上だ』
『そうか。お前のように反省の色がないやつが、もっともつみが重い。お前のいくのは黒縄地獄だ。そこで一千年のあいだ、熱く焼かれた鉄の縄で体をしばられつづけるのだ。よし、次!』
 こうしてえんま大王は、地獄に落ちた人間を次々にさばいていかれてな、とうとうわしの番がきたんだ。
 するとえんま大王は、こういったのじゃ。
『覚源(かくげん)よ、お前をここへよんだのは罪人(つみびと)としてではない。お前も見ておったように、近ごろは地獄へ来る人間の数がふえるばかりだ。これは悪いことをすれば、死後に地獄へ落ちるということを忘れているからではなかろうかと思ってな。そこで人々に説教(せっきょう)する役目のそなたに、地獄のおそろしさをよく見てもらって、ここへくる人間が一人でも少なくなるよう、人々に話してもらいたいのじゃ』
と、いうわけで、わしは地獄巡りをすることになった。
 地獄ではな、どんなに苦しくても死ぬことは出来んのじゃ。
 たとえ体を切りさかれても、いつの間にか元へもどっていて、永遠に苦しみがつづくのじゃ。
 重い荷物をせおって、ハリの山をのぼっていく人々。
 熱い血の池で、もがき苦しむ人々。
 地獄にはそんな人々のさけび声や、うめき声がつづいておる。
『よいか、死んでまでこんな苦しい思いをすることはない。人間は、こんなところへきてはならんのだ』
と、えんま大王がいうたんじゃ。
『よくわかりました。この覚源、のこる人生をかけて、一人でも地獄へ来る人間が少なくなりますように、説教をつづけましょう』
 えんま大王にこう約束して、わしは地獄から帰ってきたのじゃ」
 その後、上人は一人でも多くの人が地獄の苦しみから救われるようにと、地獄の話を語ったという事です。

おしまい

きょうの「366日への旅」
記念日検索
きょうは何の日?
誕生花検索
きょうの誕生花
誕生日検索
きょうの誕生日
福娘童話集
きょうの世界昔話
福娘童話集
きょうの日本昔話
福娘童話集
きょうのイソップ童話
福娘童話集
きょうの小話

今月一覧へ トップへ