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2008年 8月11日の新作昔話

井戸から聞こえる悲鳴

井戸から聞こえる悲鳴
秋田県の民話

 むかしむかし、羽後の国(うごのくに→秋田県)の大館(おおだて)に、長山武太夫(ながやまぶだいゆう)という剣の名人がいました。
 その名は国中に知れわたり、武太夫の道場には、全国から入門を願い出る者が大勢集まってきました。
 武太夫は気だてのいい奥さんと数多い弟子に囲まれて、とても幸せでした。
 ところが武太夫にはひとつだけ、人に言えないなやみがありました。
 それは、一人娘のみさおが生まれて一年もたつというのに、泣きもしなければ笑いもしないのです。
 あちこちの医者や占い師にも見てもらいましたが、どうして声を出さないのか、さっぱりわかりません。
 それでもみさおは病気ひとつせずに、すくすくと育っていきました。
 さて、みさおが二歳になった春の日のこと、女中のお松があたたかい庭先で、みさおをおぶって子守りをしていました。
 庭のすみには大きくて深い井戸があり、水面はいつも鏡のようにすんでいます。
 お松も年頃の娘なので、ときどき井戸に自分の姿をうつしては、身だしなみをととのえたりしていました。
 今日もお松は、みさおをおぶったまま井戸をのぞきました。
 するとそこには、若い娘の顔がありました。
 色が白くて目が大きく、とても美しい顔です。
「きれい。まるで、わたしの顔じゃないみたい」
 お松はうれしくなって笑いかけると、水面の顔も笑います。
 それを何度かくりかえしているうちに、背中のみさおが「くすっ」と笑ったのです。
「おや、みさおさまが声を出したぞ」
 お松は、もう一度みさおを笑わせようとして、井戸の上に身を乗り出すと、
「ほれほれ、みさおさま、ばあーっ」
と、肩をゆすったとたん、みさおがするりと井戸の中へ落ちたのです。
「しまった!」
 あわてて助けようとしましたが、お松の力ではどうすることもできません。
「だれかー! だれか来てー!」
 お松の悲鳴を聞きつけ、武大夫や弟子たちが庭へ飛び出してきました。
「どうした!」
「み、み、みさおさまが・・・」
 お松はふるえる手で、井戸の中を指さしました。
 すぐに弟子の一人が井戸に飛び込み、水の底にしずんでいたみさおを助けあげました。
「水をはかせろ!」
「からだを温めろ!」
 みんなは必死でみさおを介抱しましたが、駄目でした。
 武太夫と奥さんは、冷たくなったみさおにとりすがって、声をあげて泣きました。
 あまりの出来事に、お松はぽかんとつっ立っています。
 やがて立ちあがった武太夫は、すさまじい顔でお松をにらみつけると、
「お松、よくも大切な娘を殺してくれたな!」
と、言うなり、お松の顔を力いっぱいなぐりつけました。
「許してください! 許してください!」
 でも武太夫の怒りはおさまらず、お松を引きずり起こすと井戸の中へ突き落とし、近くにあった大きな石を持ちあげて、お松の上へ力いっぱい投げ込んだのです。
「ぎゃあーっ!」
 お松の悲鳴が、井戸の中からわきおこりました。
 それには弟子たちもおどろき、
「先生、このままではお松が死んでしまいます」
と、言いましたが、武太夫は、
「かまわん、ほっておけ!」
と、言ったきり、みさおをだきあげて、部屋に閉じこもってしまいました。
「お松を、はやくお松を助けるんだ!」
 弟子たちが、いそいでお松を引きあげましたが、お松は血まみれになって死んでいたのです。
 そんなことがあってから、この道場に、おかしな出来事がおこるようになったのです。
 夜中に、井戸の中から、
「ぎゃあーっ!」
と、いう悲鳴が聞こえてきたかと思うと、きゅうにあかりが消えて、部屋の中に血だらけのお松があらわれ、武太夫の顔を見て笑いかけるのです。
「おのれ、まださまようているのか!」
 武太夫が刀で切りつけましたが、まるで手ごたえがありません。
 いかに剣の名人でも、幽霊を切ることは出来ませんでした。
 怖くなった弟子たちは、みんな道場を出ていってしまいました。
 そしてある晩、武太夫の屋敷が火事になり、武太夫も奥さんも召使いも一人残らず焼け死んでしまったのです。

 今でもこの屋敷のあとには、お松の霊をなぐさめる小さな地蔵がたてられています。
 そしてそばにある大きな石は、井戸から引きあげたものだということです。

おしまい

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