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2008年 10月23日の新作昔話

青の洞門(どうもん)

青の洞門(どうもん)
大分県の民話

 山国川(やまくにがわ)にのぞむ断崖の耶馬渓(やばけい)の競秀峰(きょうしゅうほう)は、むかしから交通の難所として知られていました。
 この絶壁の中腹に、青の鎖度渡しがあるのですが、岩壁に沿ってつながれた丸太の上を鎖を伝って渡るもので、樋田(ひだ)から青へ行くには、どうしても通らなければならない道で、足を踏みはずして命をおとす人馬が多くいたのです。
 その岩壁に、いつのころからか一人の僧が槌(つち)を振るっていました。
 僧の名を禅海(ぜんかい)といい、かつては江戸で中川四郎兵衛という武士の傭人(ようにん→やとわれた人)として仕える身だったのです。
 ところがあるとき、ささいなことで主人を殺してしまい、その罪ほろぼしに禅海という僧になり、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の旅に出たのです。
 四国の八十八カ所を巡り、九州、豊後の樋田村にたどり着いた禅海は、この絶壁の鎖渡しを見て、
「これこそが、求めておった道。我の罪をつぐなうのは、ここしかない」
と、この山裾に洞門を掘る決心をしたのです。
 享保二十年に最初の槌を振るって以来、禅海は毎日洞門を掘り続けました。
 最初は禅海を厄介者扱いしていた村人も、やがて禅海を応援するようになりました。
 そしてそれから五年たち、十年たち、ついに二十五年が過ぎたある日、一人の若者が禅海を探して青の洞門にやってきました。
 その若者は禅海が殺した、中川四郎兵衛の長男の実之助(じつのすけ)だったのです。
 成長した実之助は、父の敵を討つためにここにやってきたのです。
「お主が禅海か。以前の名を福原市九郎(ふくはらいちくろう)に相違あるまいか」
 実之助の声に、槌を打つ禅海の手が止まりました。
「いかにも。してそこもとは」
「それがしは中川四郎兵衛の子、実之助と申す。父の仇を討ちに来た」
 そう言われて見れば、たしかに父の面影があります。
「おお、中川さまのご子息か。いかにも禅海、そこもとの父をあやめた市九郎に相違ありませぬ。じゃが、何とぞお待ち下され」
 禅海は実之助に、深々と頭を下げました。
「なに! このごに及んで命ごいか!」
 どなる実之助に、禅海は静かに言いました。
「いえ、命ごいではありませぬ。ただ、禅海が罪ほろぼしに掘っておる、この洞門が貫通するまでお待ちいただくわけにはいくまいか」
「罪ほろぼしか・・・。よし、では少しでも早く終わるよう、手伝ってやろう」
 その日から、禅海と並んで槌を振う実之助の姿が見られるようになったのです。
 仇を討つ者と討たれる者は、ただ黙々と槌を振るいました。
 そして五年後、ついに青の洞門は完成しました。
 禅海が堀り始めてから三十年目のその日、二人の目には涙が光っていました。
 禅海は実之助に向き直ると、頭を下げて静かにいいました。
「実之助どの。いままでよう我慢してくれた。そしてよう、洞門づくりを手伝ってくれた。こころから礼を言う。・・・さあ、禅海には、もう思い残すことはない。約束通り、父の敵の首をお斬りくだされ」
 その言葉に、一度は刀に手を伸ばした実之助ですが、実之助は禅海の手を固く握りしめると、そのまま江戸へ帰って行ったのです。
 現在、この洞門は広く舗装されていますが、しかし壁面には、禅海と実之助の槌の跡が所々に残っているそうです。

おしまい

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