2012年 5月11日の新作昔話
水女
ロシア・タタール地方の昔話 → ロシアの情報
むかしむかし、ロシアのある森の中を、きれいな川が流れていました。
ある夏の事、その川でキジルという男の子が、たった一人で水浴びをしていました。
夕方になったので、
「そろそろ、家に帰らないと」
と、キジルがふと、向こうの丸木橋の方をながめると、丸木橋に恐ろしい顔をした女が一人で腰掛けていたのです。
女は長い髪の毛を金のくしで、ゆっくりゆっくりとかしています。
その金のくしが日の光をうけて、キラキラとかがやいて見えました。
やがて髪の毛をとかし終えた女は、橋の上に立ち上がると、
ザブン!
と、水に飛び込みました。
そして女はそれきり、浮かんではきませんでした。
「あれはきっと、水の底に住んでいる水女だ」
怖くなったキジルは、急いで川から逃げようとしましたが、ふと気がつくと、丸木橋の上にはさっきの金のくしがキラキラと輝いていたのです。
キジルは目に見えない力に引き寄せられるように、ふらふらと丸木橋の方に近づいていきました。
「すごい。なんてきれいなんだ。これはきっと、高く売れるぞ」
キジルは金のくしをポケットにしまうと、そのまま一目散にかけ出しました。
走って走って、やっと森を抜け出した時、森の中からかすかに声が聞こえました。
「くしを返せー!」
水女が、後を追って来たのです。
「わあ、捕まったら大変だー!」
キジルは自分の村をめざして、懸命に走り続けました。
やがて水女の声は、すぐ近くまでせまって来ました。
「くしを返せー!」
キジルは、もう少しで水女に捕まりそうになりましたが、村に近づいてくると、村から、三、四匹の犬が飛び出してきて、
「ワンワン! ワンワン!」
と、吠えながら水女に飛びかかっていったのです。
「うひゃー、犬だー!」
水女は犬が苦手なのか、やがてどこかへ消えてしまいました。
「ああ、助かった。ありがとう、お前たちのおかげだよ」
キジルは急いで家に帰ると、さっそくお母さんに今日の事を話しました。
「お母さん、この金のくしは、ぼくたちの物だよ」
ところが喜ぶかと思ったお母さんは、心配そうな顔でいいました。
「お前、どうしてそんな物を持ってきたの。水女に、ひどい目にあうかもしれないよ」
「平気さ。だって、水女は犬が苦手なんだ。この村に犬がいる限り大丈夫だよ」
さて、夜になりました。
ベッドでキジルが寝ていると、
コンコン、コンコン。
と、誰かが、窓ガラスを叩いているようです。
「誰だろう? こんな時間に」
キジルは暗い窓の外を、じっと目をこらしましたが、外には誰もいません。
「おかしいな?」
キジルはふとんにもぐりこむと、また眠りました。
すると、また、
コンコン、コンコン。
その音に気づいたお母さんが目を覚ますと、外に声をかけました。
「どなた? 何のご用ですか?」
すると窓の外で、低い声がしました。
「わたしは水女だ。わたしのくしを返せ!」
外はまっ暗でしたが、水女の姿は水に濡れていて銀色に光っていました。
「くしを返せ! わたしの金のくしを返せ! お前の息子が盗んでいったのだ! 早く返せ! 返せ!」
びっくりしたお母さんは、急いで寝ていたキジルを起こしました。
「キジル! くしを! 早く、くしをお出し!」
起き出したキジルは、引き出しに隠しておいたくしを取り出して、お母さんに渡しました。
お母さんは急いで窓を開けると、金のくしを外に放り投げました。
すると窓の外で水女は、
「おおっ、わたしのくしだ! わたしの大切なくしだ!」
と、くしを大事そうに拾い上げると、暗闇の中に消えてしまいました。
キジルとお母さんは顔を見合わせて、思わずほっとためいきをつきました。
「キジル。人の物を盗んだりすると、どんな目にあうか、これでわかったね」
「うん。ごめんなさい。もうしないよ」
キジルは震えながら、そう答えました。
おしまい