2012年 6月29日の新作昔話
石合戦
徳川家康の子どもの頃の話
長い間続いた戦国時代を終結させ、江戸幕府を開いた徳川家康は、子どもの頃から物事を見定める力がありました。
これは徳川家康が九才の頃、まだ松平竹千代(まつだいらたけちよ)と呼ばれていた頃のお話しです。
駿府(すんぷ→静岡市)にある、安倍川(あべかわ)の土手で、子どもたちが赤白二組にわかれて石合戦をしていました。
石合戦とは、石を投げ合ってどちらが強いか勝負するのです。
この様子を見ていた竹千代に、家来の一人がたずねました。
「竹千代さま。どちらが勝つと思いますか?」
竹千代は、赤白両方の組をじっと見つめて、しばらく考えました。
「うーむ」
すると、別の家来が竹千代に言いました。
「竹千代さま、赤になさいませ。赤は百人。白は五十人です。戦とは数の勝負。数の多い方が勝つに決まっています」
しかし竹千代は、首を振って言いました。
「いいや。勝つのは白だろう」
これを聞いた家来たちはびっくりです。
すると竹千代は、家来たちに自分の考えを説明しました。
「赤の組をよく見てみろ、赤は大勢ということに安心して、それほど真剣になっていない。半分以上が遊んでいる。だが白の組は数が少ないぶん、みんなが気持ちを一つにして、皆が戦おうとしているではないか」
「うーむ。そんなものでしょうか」
竹千代の説明に、家来たちは首をかしげました。
やがて、
「合戦、はじめい!」
と、合図のたいこが鳴りひびいて、石投げがはじまりました。
すると、どうでしょう。
数の少ない白の組が勇敢に攻めていったので、まさか負ける事はないとのんびりしていた赤の組は、バラバラと逃げ出したのです。
これを見て、家来たちは感心しました。
「なんと。さすがは竹千代さま。まだお小さいのに、よくものを見ておられる。このまま大きくなられれば、いつの日か天下を治めるかもしれん」
家来たちの思い通り、竹千代は後の天下人となったのでした。
おしまい