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        5年生の日本民話 
          
          
         
キツネがついた幸助 
静岡県(しずおかけん)の民話 
       むかしむかし、東海道(とうかいどう)ぞいのある村に、幸助(こうすけ)という、まじめで働き者のお百姓(ひゃくしょう)が住んでいました。 
   この幸助が五十五歳(55さい)になった、ある日の事です。 
   どうしたことか、幸助がきゅうにおかしくなったので、奥(おく)さんはおどろいて近所の人たちを呼(よ)んできました。 
   幸助は掛け軸(かけじく)がかかった床の間(とこのま)を背(せ)にしてきちんとすわり、こんなことをいいだしたのです。 
  「われは、大友(おおとも)の白ギツネである。このたび豊川(とよかわ)の稲荷(いなり)さまのつかいとして、江戸(えど)までいくことになった。江戸(えど)からもどるときも、またこの家を宿(やど)にかりたい。世話(せわ)になったな」 
   そういって、幸助は旅のしたくをはじめたのです。  
   奥(おく)さんと近所の人たちは、幸助をあわてて引き止めると、ふとんに寝(ね)かせてしまいました。 
  「これは、キツネがついたんじゃ」 
   みんなが心配していると、幸助はふとんから起きあがりました。  
   そして、きょとんとした顔つきで、  
  「おや? なんで、みんなここにおるんだ?」 
  と、いうのでした。 
   正気(しょうき)にかえった幸助にいろいろたずねると、幸助はそれまでの事を、全くおぼえていないというのです。  
   何日かたつと、幸助はまたおかしなことをいいました。  
  「われは、さきに宿を借りた大友の白ギツネである。いま江戸(えど)からもどってきた。また世話になるぞ。われはいま、五百歳(500さい)になる。ここは日本一の富士(ふじ)の山も近くにながめられて、とてもよいところじゃ。社(やしろ)をつくって、われをまつれ」 
   しばらくして正気にもどった幸助にこの話をすると、幸助はまじめな顔つきで、  
  「これも何かの縁(えん)だ。その大友の白ギツネとかの頼(たの)みをきいてやろう」 
  と、いって、家の敷地(しきち)に小さなお稲荷(いなり)さんの社をつくり、自分は白い衣をまとって神主(かんぬし)になりました。 
   神主になった幸助は、病気や大漁(たいりょう)のおいのりをたのまれると、あちこちにでかけていって一心(いっしん)にお祈(いの)りをしました。 
   すると、どんな願いでもすぐにかなえられるのでした。  
   けれども、つかれはてて家に帰ってくると、それまでの事はすっかり忘(わす)れてしまい、自分がどこへいって何をしてきたのかも、いっさい思い出すことが出来ないのです。 
   また幸助は、これまで絵をかいたことなど一度もありませんでしたが、それなのに突然(とつぜん)、名人がかくような見事な絵をかくようになったのです。 
   特に富士山(ふじさん)の絵はすばらしく、もらっていった人たちは、家の宝(たから)にして床の間(とこのま)にかけていました。 
   この幸助にキツネがつくようになってから四年後、「富士景色(ふじげしき)」と名づけたりっぱな画集(がしゅう)を二冊(2さつ)を残して、幸助はこの世をさったとの事です。 
      おしまい         
         
        
       
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