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        6年生の日本民話 
          
          
         
オオカミばあさん 
京都府の民話 
      
       むかしむかし、たびたびのききん(→不作のために食べものがたりなくなること)にくわえ、わるい病気がはやって、村人たちがおおぜい死んだことがあります。 
   丹波(たんば→京都府)の山あいの村に、スギというおばあさんがすんでいました。 
  「ああ、うちにも孫がでけた。ええ男の子や」 
   そういってよろこんだのもつかのまで、ある年の秋、息子と嫁(よめ)とかわいい孫が、あいついで死んでしまったのです。 
   一人っきりになったおばあさんは、生きる気力をなくしてしまい、  
  「生きていてもしかたねえ、はよう、わしも死なしてくれえ」 
  と、ただ泣いてくらしていました。 
   まもなく冬がきて、山に雪がふりはじめたころ、おそろしいオオカミが里のほうへおりてきました。 
   そして子どもがオオカミに食い殺されたので、村人たちは大さわぎです。  
   おスギばあさんが人前に姿(すがた)を見せなくなったのは、そのころからでした。 
  と、いっても、決していなくなったわけではなく、夜になると家には明かりがつきましたし、かまどのけむりもあがります。 
   そのころ、村にはおそろしいうわさが広がりました。  
  「あのばあさん、オオカミをかっとるんや」 
  「そうそう、朝晩(あさばん)、オオカミにごはんをたべさしているそうだ」 
   うわさはうそではないらしく、夜ごとにウォーンという、オオカミの鳴き声がすぐ近くで聞こえ、月あかりの庭さきを通っていく黒いけものを、何人もの村人が見たのです。  
   そこである晩(ばん)、男たちが火なわ銃(ひなわじゅう)を持って、おスギばあさんの家の近くへいってみました。 
   ひっそりとした家に、 あんどんのあかりがともっていました。 
   そのあかりで、しょうじに大きくおばあさんとオオカミのかげがうつりました。  
   鉄砲(てっぽう)をもった男たちは、みな足がすくんでしまい、 
  「あれにとびかかられては、このくらい夜のこと、ズドンとうつまもないぞ」 
  と、ぞろぞろにげてかえりました。 
   それからしばらくしたある日、おスギばあさんがめずらしく外へでかけると、お坊(ぼう)さんをつれて戻(もど)って来ました。 
   お坊(ぼう)さんは土間(どま→家の中でゆかをはらず、土のままにしてある所。主に台所)からとびだしてきたオオカミを見てビックリしましたが、そのオオカミにむかって、おばあさんがいいました。 
  「わしなあ、お前が家のうらまできた日には、『はようわしをたべてくれ、息子や孫のところへいかしてくれ』そうおもうて戸をあけたんや。そやけどお前は、このわしをたべなんだ。わしがたいたごはんをたべて、いままでいてくれた。おかげで、きょうまで命をながらえることができた。お前には礼をいわんならん。だども、いつまでもというわけにはいかん。ありがたいお経を聞いて、山のなかまのところへかえってくれ」 
  「えっ、おほん。それならオオカミや、よう聞くがええ」 
   お坊(ぼう)さんは、あがりがまち(→家のあがり口)に立って、お経をとなえだしました。 
   オオカミはキバをむいて土間を歩きまわっていましたが、しだいにおちついて、お坊(ぼう)さんのまえにすわりこみました。 
   するととつぜん、耳をつんざく音が、うしろの山のほうまでこだましたのです。  
   しょうじのかげには、鉄砲(てっぽう)をかまえたおばあさんが立っていました。 
   土間には血にそまったオオカミがいて、もう死んでいました。  
  「なんぼわけがあるいうても、お前は村の子どもや旅の人をおそうた。つらいけど、わしはこうするしかなかったんや。ごめんな」 
   おばあさんの目から、なみだがあふれておちました。  
   そしてお坊(ぼう)さんの手をかりて、オオカミのなきがらを山へはこぶと、てあつくほうむりました。 
   こののち、村ではだれ一人オオカミにおそわれるものはなかったそうですが、おスギばあさんはその日いらい姿(すがた)をけして、二度と村には戻(もど)ってこなかったという事です。 
      おしまい         
         
        
       
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