5年生の世界昔話 
          
          
        イラスト myi   ブログ sorairoiro 
         
アトリの鐘(かね) 
イタリアの昔話 → イタリアのせつめい 
      
       
      
       むかしむかし、イタリアのアトリという町のお話です。 
   ある日、王さまの命令で、町の広場の塔(とう)に大きな鐘(かね)がつるされました。 
   鐘(かね)からは、長いつなが下がっています。 
  「どんな音がするのだろう?」 
   町の人たちは塔(とう)をとりかこんで、むねをわくわくさせながら王さまがくるのを待ちました。 
        
               やがて、馬車(ばしゃ)でやってきた王さまが、集まった人びとにこういいました。 
        「この鐘(かね)は、ただ時刻(じこく)を知らせたり、音を聞くだけのものではない。『正しさの鐘(かね)』として、ここにつるしたのじゃ」 
        「正しさの鐘(かね)?」 
         人びとは、ふしぎそうに王さまを見つめました。  
        「そうじゃ『正しさの鐘(かね)』じゃ。おまえたちのうちのだれでも、もし人にいじめられたり、つらいめにあわされたりしたら、ここへきて鐘(かね)をならせばよい。 
         鐘(かね)がなれば裁判官(さいばんかん)すぐにきて、おまえたちのいい分を聞いてくれる。 
         そして、何が正しいかをきめてくれるであろう」 
        「だれが鐘(かね)をならしても、よろしいのですか?」 
        「だれがならしてもよい。子どもでもよいぞ。見よ。そのためにつなは、このように長くしてあるのじゃ」 
        
               こうしてアトリの町では、その日から、人につらいめにあわされた人や、あらそいごとのある人は塔(とう)の下にきて、鐘(かね)をならすようになりました。 
         そして王さまのおっしゃったとおり、鐘(かね)がなると裁判官(さいばんかん)がやってきて、だれが正しいか、何が真実(しんじつ)かをきめてくれるのです。 
         鐘(かね)のおかげで、町のみんなは楽しく毎日をすごせるようになりました。 
         そして長い年月のあいだに、大ぜいの人がつなをひっぱったので、つながきれて、新しいつなができるまで、ブドウのつるがさげられることになりました。  
         
         さて、アトリの町はずれに、一人の金持ちの男が住んでいました。  
        
               この人は、若(わか)いころはウマにのって悪者をたくさんやっつけた、いさましく正しい人でした。 
         でも年を取るにしたがって、だんだんといじわるのけちん坊(ぼう)になってしまったのです。 
         
         ある日、金持ちは考えました。  
        「もっとお金をためる方法はないだろうか。・・・そうだ。ウマにエサをやらなければいいんだ」 
         こうして、むかしはいっしょにかつやくしたウマなのに、エサをやるのをやめてしったのです。  
         やせほそったウマはヨロヨロしながら、やっとアトリの町へたどりつきました。  
        
               そして広場の塔(とう)の下まで来ると、つなのかわりに下がっていたブドウのつるの葉を、ムシャムシャ食べ始めたのです。 
        
              ♪ガラン、ガラン。  
         ウマが食べるたびに、鐘(かね)が、ガラン、ガランとなりました。 
         町の人たちも裁判官(さいばんかん)も広場に飛んできて、そのウマを見ました。 
        
              「かわいそうに、こんなにやせている」 
        「ウマは口がきけないから、鐘(かね)をならして、つらいことをうったえているのだ」 
         すぐに飼い主(かいぬし)だった金持ちが、広場によばれました。 
        
               裁判官(さいばんかん)は、金持ちにいいました。 
        「このウマは、今までとてもあなたの役に立ってきたはず。あなたのためたお金の半分は、このウマの物ではありませんか?」 
         金持ちの男の人は、ブドウの葉を食べているウマを見ているうちに、胸(むね)がいっぱいになりました。 
         自分がどんなにひどいことをしたか、ようやくわかったのです。  
         そしてそれからはウマを大切にして、いつまでもなかよくくらしました。  
        
               アトリの鐘(かね)は、ウマにとっても『正しさの鐘(かね)』だったのです。 
      おしまい         
         
        
       
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