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百物語 第3話

耳なし芳一

耳なし芳一
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 むかしむかし、下関(しものせき→山口県)に、阿弥陀寺(あみだじ→真言宗の寺)というお寺がありました。
 そのお寺に、芳一(ほういち)という、びわひきがいました。
 芳一は幼い頃から目が不自由だった為に、びわのひき語りをしこまれて、まだほんの若者ながら、その芸は師匠の和尚(おしょう)さんをしのぐほどになっていました。
 阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能(さいのう)を見込んで、寺に引き取ったのでした。

 芳一は、源平(げんぺい)の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦(だんのうら)の合戦のくだりのところでは、その真にせまった語り口に、誰一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。

 そのむかし、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの最後の決戦が行われ、戦いにやぶれた平家一門は女や子どもにいたるまで、安徳天皇(あんとくてんのう)として知られている幼帝(ようてい)もろとも、ことごとく海の底に沈んでしまいました。
 この悲しい平家の最後の戦いを語ったものが、壇ノ浦の合戦のくだりなのです。

 ある、蒸し暑い夏の夜の事です。
 和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は一人でお寺に残ってびわのけいこをしていました。
 その時、庭の草がサワサワと波のようにゆれて、縁側(えんがわ)に座っている芳一の前で止まりました。
 そして、声がしました。
「芳一! 芳一!」
「はっ、はい。どなたさまでしょうか。わたしは目が見えませんもので」
 すると、声の主は答えます。
「わしは、この近くにお住まいの、さる身分の高いお方の使いの者じゃ。殿が、そなたのびわと語りを聞いてみたいとお望みじゃ」
「えっ、わたしのびわを?」
「さよう、やかたへ案内するから、わしの後についてまいれ」
 芳一は、身分の高いお方が自分のびわを聞きたいと望んでおられると聞いて、すっかりうれしくなって、その使いの者についていきました。
 歩くたびに、『ガシャッ』、『ガシャッ』と音がして、使いの者は、よろいで身をかためている武者だとわかります。
 門をくぐり広い庭を通ると、大きなやかたの中に通されました。
 そこは大広間で、大勢の人が集まっているらしく、サラサラときぬずれの音や、よろいのふれあう音が聞こえていました。
 一人の女官(じょかん→宮中に仕える女性)が、言いました。
「芳一や、さっそく、そなたのびわにあわせて、平家の物語を語ってくだされ」
「はい。長い物語ゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」
「・・・壇ノ浦のくだりを」
「かしこまりました」
 芳一は、びわを鳴らして語りはじめました。
 ろをあやつる音。
 舟に当たってくだける波。
 弓鳴りの音。
 兵士たちのおたけびの声。
 息たえた武者が、海に落ちる音。
 これらの様子を、静かに、もの悲しく語り続けます。
 大広間は、たちまちのうちに壇ノ浦の合戦場になってしまったかのようです。
 やがて平家の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから、むせび泣きがおこり、芳一のびわが終わっても、しばらくは誰も口をきかず、シーンと静まりかえっていました。
 やがて、さっきの女官が言いました。
「殿も、たいそう喜んでおられます。
 良い物をお礼に下さるそうじゃ。
 されど、今夜より六日間、毎夜そなたのびわを聞きたいとおっしゃいます。
 明日の夜も、このやかたにまいられるように。
 それから寺へもどっても、このことはだれにも話してはならぬ。
 よろしいな」
「はい」

 次の日も、芳一は迎えに来た武者について、やかたに向かいました。
 しかし、昨日と同じ様にびわをひいて寺に戻って来たところを、和尚さんに見つかってしまいました。
「芳一、今頃まで、どこで何をしていたんだね?」
「・・・・・・」
「芳一」
「・・・・・・」
 和尚さんがいくらたずねても、芳一は約束を守って、一言も話しませんでした。
 和尚さんは芳一が何も言わないのは、何か深いわけがあるにちがいないと思いました。
 そこで寺男(てらおとこ→寺の雑用係)たちに、芳一が出かけるような事があったら、そっと後をつけるようにいっておいたのです。

 そして、また夜になりました。
 雨が、激しく降っています。
 それでも芳一は、寺を出ていきます。
 寺男たちは、そっと芳一の後を追いかけました。
 ところが、目が見えないはずの芳一の足は意外にはやく、やみ夜にかき消されるように姿が見えなくなってしまったのです。
「どこへ行ったんだ?」
と、あちこち探しまわった寺男たちは、墓地へやってきました。
 ビカッ!
 いなびかりで、雨にぬれた墓石が浮かびあがります。
「あっ、あそこに!」
 寺男たちは、驚きのあまり立ちすくみました。
 雨でずぶぬれになった芳一が、安徳天皇の墓の前でびわをひいているのです。
 その芳一のまわりを、無数の鬼火が取り囲んでいます。
 寺男たちは芳一が亡霊(ぼうれい)にとりつかれているにちがいないと、力まかせに寺へ連れ戻しました。
 その出来事を聞いた和尚さんは、芳一を亡霊から守るために、魔除けのまじないをする事にしました。
 その魔除けとは、芳一の体中に経文(きょうもん)を書きつけるのです。
「芳一、お前の人なみはずれた芸が、亡霊を呼ぶ事になってしまったようじゃ。
 無念の涙をのんで海に沈んでいった平家一族のな。
 よく聞け。
 今夜は誰が呼びに来ても、決して口をきいてはならんぞ。
 亡霊にしたがった者は命をとられる。
 しっかり座禅(ざぜん)を組んで、身じろぎひとつせぬ事じゃ。
 もし返事をしたり、声を出せば、お前は今度こそ、殺されてしまうじゃろう。
 わかったな」
 和尚さんはそう言って、村のお通夜に出かけてしまいました。
 さて、芳一が座禅をしていると、いつものように亡霊の声が呼びかけます。
「芳一、芳一、迎えにまいったぞ」
 でも、芳一の声も姿もありません。
 亡霊は、寺の中へ入ってきました。
「ふむ。・・・びわはあるが、ひき手はおらんな」
 あたりを見まわした亡霊は、空中に浮いている二つの耳を見つけました。
「なるほど、和尚のしわざだな。さすがのわしでも、これでは手が出せぬ。しかたない、せめてこの耳を持ち帰って、芳一を呼びに行ったあかしとせねばなるまい」
 亡霊は芳一の耳に、冷たい手をかけると、
 バリッ!
 その耳をもぎとって、帰っていきました。
 そのあいだ、芳一はジッと座禅を組んだままでした。

 寺に戻った和尚さんは芳一の様子を見ようと、大急ぎで芳一のいる座敷へ駆け込みました。
「芳一! 無事だったか!」
 じっと座禅を組んだままの芳一でしたが、その両の耳はなく、耳のあったところからは血が流れています。
「お、お前、その耳は・・・」
 和尚さんには、全ての事がわかりました。
「そうであったか。耳に経文を書き忘れたとは、気がつかなかった。
 何と、かわいそうな事をしたものよ。
 よしよし、よい医者を頼んで、すぐにも傷の手当てをしてもらうとしよう」
 芳一は両耳を取られてしまいましたが、それからはもう亡霊につきまとわれる事もなく、医者の手当てのおかげで、傷も治っていきました。

 やがて、この話は口から口へと伝わり、芳一のびわはますます評判になっていきました。
 びわ法師の芳一は、いつしか『耳なし芳一』と呼ばれるようになり、その名を知らない人はいないほど有名になったということです。

おしまい

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