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4月30日の日本民話
(4月30日的日本民間故事)
年貢米の一俵が、平戸藩だけすくないわけ (健全普通話版)
減徵的平戶大米
・日本語 ・日本語&中国語
むかしから、一俵のお米は四斗(よんと→約六十キロ)と決まっていましたが、日本中でも平戸藩だけは三斗二升(さんとにしょう→約四十八キロ)を一俵としていました。
在很久很久以前、當時的大米是以一俵為四斗這樣的單位來計量、可就在全日本中唯獨就是平戶這塊地、人家那裡的一俵就只算你是三斗二升。
これは、その平戸藩の一俵にまつわるお話しです。
綜上所述、今天的故事也就是來說說平戶這地的大米為甚麼它的一俵是這樣與眾不同吧。
むかし、平戸には大変頭の良い殿さまがいました。
說道這當時的平戶王呀、人家的腦袋裡面就十分的聰明。
この殿さまが参勤交代(さんきんこうたい)で江戸に上り、江戸城の大広間で酒宴が開かれた時です。
時將軍喚各領國主參勤上洛、在江戶城中擺起了隆重的宴席宴請群英、其中也就包括平戶王一席。
座敷には全国津々浦々の大名たちが、少しでも見栄を張ろうと立派なかみしもを着て座っていました。
光就當時的大廳之中可謂是聚集了各路豪強、總之你無論就是見到了誰、那人家看起來就是一個氣派的主。
ですがその座敷の一番下座(しもざ)で、みすぼらしいかすりのかみしもを着て座っている一人の大名が将軍の目にとまりました。
可在大廳之中一個小小的角落、在這裡卻是坐著了一位與周圍明顯不搭多少有點窮酸樣的奇異之人、很快的這傢伙也是引起了將軍的注意。
その大名こそ、平戸藩の松浦公(まつうらこう)です。
而現在所說的這位奇異之人、也就正是平戶王松浦公。
松浦公がひざの上に手拭いを広げて、ご飯をすすり込むように食べているその姿が、将軍にしてみればあまりにも奇妙に見えたのでしょう。
松浦公他呀首先是以坐姿在膝蓋上攤開了一塊帕子、再說人家吃飯的樣子吧-也不細嚼慢咽總之就是一整個很倉促的用筷子狼吞虎咽這樣、這種行為在將軍的眼睛裡看來不得不說是十分的怪異。
「なぜ、あのように食べるのだ? あの大名を、ここへ呼べ」
你們不覺得那人吃東西的樣子十分古怪嗎?將此人帶到我面前來、讓我問問吧。
将軍の命令で前へ呼び出された松浦公は、なぜ奇妙な食べ方をするのだと尋ねられて、こう答えました。
不一會隨著將軍的命令、松浦公也很快的自己來到了將軍跟前、而當人家被問到為甚麼吃東西的樣子會這樣古怪時、只見松浦公是這樣答到。
「はい、私の国は遠い西の果ての小さな島国で、気候も悪く、米はほとんど取れませぬゆえ、領民はアワやヒエ、それにイモばかりを食べております。
是這樣的、這事呀還要從我所在的領地是一個位處遠西的小島國來說起、因為這裡的氣候是反復無常、要說大米這種東西其實是很難栽培成功的、比起難种的大米、此地的人民更多的是傾向雜糧、小米以及紅薯這樣。
アワやヒエは米のように粘りがないので、どうしてもはしでは食べにくく、かき込んで食べる癖(くせ)がついてしまいました。
而通常相較起米。粟、稗、這類的雜糧並不具備粘性、基本上都是糊成一團後以稀粥的樣子呈現在碗中、這時再用筷子慢挑實屬不便、因此大家也就都演變成了吃飯時像是在喝湯一樣的習慣。
お恥ずかしながら、先ほどもその癖が出てしまったのでございます。
慚愧慚愧、也就是在剛剛一個不小心我都忘記了要改過來了。
また、このかみしもは百姓たちがカズラ(→つる草)やコウゾ(→クワ科の落葉低木で、和紙の材料)をひいて今日の為に作ってくれた物です。
至於我身上的這件看起來有點唐突的袍子、其實是我的領民為我今日上洛所親贈、編織的材質非是布匹、而是藤、麻。
そのせっかくのかみしもを汚さないようにと、手拭いをかけて食べていたのです」
因為我很擔心就這樣吃飯時不小心就把衣服給髒、所以就有在自己的膝蓋上準備了一塊手帕。
これを聞いた将軍は、とても感心しました。
就是聽到了這些話後的將軍呀、一整人感動極了。
「なんと、そちの藩は、それほど貧しかったのか。
だが、そんなに貧しいにもかかわらず、松浦公の藩は毎年きちんと年貢米を届けておる。
天啦、那麼你所在的那塊領地、不就說明了它是十分的貧瘠嗎、但既然可都是如此艱苦的環境下、松浦王你還是每年都有按時的給我上繳大米的年貢。
まことに、感心な事。
說實話我對此感到是十分的感激。
よし、それならば平戸藩だけ、年貢米は一俵が三斗二升でよいことにしよう」
行啦、那就這樣好了、以後只要是在你所處的平戶領、年貢的大米我就給你一俵為三斗二升的另算。
それからです、日本でも平戸藩だけが年貢米の一俵が少ないのは。
就是這樣的事情發生了之後呀、日本光就平戶這一個地方大米的計量單位是單獨發生了改變、人家是一俵米總之就是不那麼多。
でも実は、平戸はオランダ貿易が盛んで、財政はとても豊かな藩でした。
但其實呀、平戶這地方壓根可就一點兒也不窮呢、人家是財政充足、因為地理的位置接近荷蘭、光就這貿易的往來都讓人賺得盆滿缽滿了。
ですがそれを将軍に知られると、年貢を増やされるかもしれません。
可萬一要是這樣的一個信息到時讓將軍知情、那可不得還要加徵自己的年貢呀。
そこで頭の良い平戸の殿さまは、こんな演技をしたのでした。
人家平戶王怕的就是這個呢、所以說才特地的裝成是一副很慘兮兮的模樣、在人前是賺足了眼球。
おしまい
结束
↓ ※オタク構文版 (翻訳者の改変意訳バージョンです) ↓
年貢米の一俵が、平戸藩だけすくないわけ
打折扣
むかしから、一俵のお米は四斗(よんと→約六十キロ)と決まっていましたが、日本中でも平戸藩だけは三斗二升(さんとにしょう→約四十八キロ)を一俵としていました。
到好久以前、四斗米就是一籮筐、但有條藩另算、三斗二升為一俵。
これは、その平戸藩の一俵にまつわるお話しです。
這就講這半斤是怎麼變成八兩的。
むかし、平戸には大変頭の良い殿さまがいました。
到以前、平戸這藩王腦鬠裡面就裝的有淫巧。
この殿さまが参勤交代(さんきんこうたい)で江戸に上り、江戸城の大広間で酒宴が開かれた時です。
將軍這就又照例喚各地藩王、酒席一擺、人頭齊聚。
座敷には全国津々浦々の大名たちが、少しでも見栄を張ろうと立派なかみしもを着て座っていました。
四野八荒管事的這就都到場了、這都怕莫出了洋相、哪個都是規規矩矩、穿到又是正式。
ですがその座敷の一番下座(しもざ)で、みすぼらしいかすりのかみしもを着て座っている一人の大名が将軍の目にとまりました。
這就將軍上上座、幫選坐到下下座的個藩王注意到了、衣服也就穿起個那樣子、劣平民、煞王侯。
その大名こそ、平戸藩の松浦公(まつうらこう)です。
這位過就是平戸候松浦公。
松浦公がひざの上に手拭いを広げて、ご飯をすすり込むように食べているその姿が、将軍にしてみればあまりにも奇妙に見えたのでしょう。
松浦公這就膝上鋪塊布、碗甚麼傢伙就都到上面、這就開始腦鬠佝到直接過開呋、幫將軍人是過看獃到了。
「なぜ、あのように食べるのだ? あの大名を、ここへ呼べ」
這就好奇啊、斥了個人去喚這條也不曉得是哪個的傢伙過來。
将軍の命令で前へ呼び出された松浦公は、なぜ奇妙な食べ方をするのだと尋ねられて、こう答えました。
松浦公這就人一著喊到、開始解釋了。
「はい、私の国は遠い西の果ての小さな島国で、気候も悪く、米はほとんど取れませぬゆえ、領民はアワやヒエ、それにイモばかりを食べております。
講自己的藩到大島的遠西還有個小小島、環境不怎麼好、米就不怎麼好種、取的多是其他的雜糧而非大米。
アワやヒエは米のように粘りがないので、どうしてもはしでは食べにくく、かき込んで食べる癖(くせ)がついてしまいました。
而粟跟稗並㫘米這麼粘、用筷子就難夾、這就習慣用筷子直接趕了。
お恥ずかしながら、先ほどもその癖が出てしまったのでございます。
剛剛確實是難看、不過這裡面也是自這些個緣由。
また、このかみしもは百姓たちがカズラ(→つる草)やコウゾ(→クワ科の落葉低木で、和紙の材料)をひいて今日の為に作ってくれた物です。
我穿的這身其實也不算布料、都是些植物跟麻。
そのせっかくのかみしもを汚さないようにと、手拭いをかけて食べていたのです」
但今日上洛、雖賤薄、但亦是領民編織心意、我墊塊布、是怕灑了湯汁。
これを聞いた将軍は、とても感心しました。
這就真是權貴碰難民、幫自己心疼到了。
「なんと、そちの藩は、それほど貧しかったのか。
だが、そんなに貧しいにもかかわらず、松浦公の藩は毎年きちんと年貢米を届けておる。
那你們米是怎麼來的啦?每年都還按規定上貢、我實在想到你們是這條樣子。
まことに、感心な事。
よし、それならば平戸藩だけ、年貢米は一俵が三斗二升でよいことにしよう」
既然有困難、我都曉得了那就要緩解下子、這一俵四斗、從今天起你那邊就算三斗二升了。
それからです、日本でも平戸藩だけが年貢米の一俵が少ないのは。
這就是個半斤變八兩的脈絡、各地藩王唯此一家。
でも実は、平戸はオランダ貿易が盛んで、財政はとても豊かな藩でした。
但實際上這地方最近荷蘭、就有貿易往來、其實根本不窮、而且還有錢。
ですがそれを将軍に知られると、年貢を増やされるかもしれません。
但萬一到時候被將軍曉得自己有錢幫自己加剝一層皮不就癲了啊。
そこで頭の良い平戸の殿さまは、こんな演技をしたのでした。
這就只是為了不虧、故意幫奤卵事作一些、㫘想到還過賺了。
おしまい
结束
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