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9月10日の小話
へとおもえ
風鈴(ふうりん)売りの声も、とおのいた秋のこと。
にわかに、表が、さわがしくなりました。
町の世話役(せわやく)は、何ごとがおこったのかと、とんで出ますと、これは、おどろいた。
ひとりのさむらいが、こぞうの太助(たすけ)の胸ぐらをつかんで、どなっております。
いまにも、刀をぬきそうなようすなので、
「も、もし。おさむらいさま。ちょ、ちょっと、お待ちくださいませ。いったい、この男が、どんな、ふらちをいたしましたので」
「なにっ! そういうおまえは、なにものだ!」
「へい。この町内の世話役をいたしております者で」
「さようか。実は、これなる男。拙者(せっしゃ→武士が、自分をふりくだっていう言葉)のはかまに水をかけおって、ただひとことの、わび(あやまること)もいたさぬ。そればかりか、さむらいなどは、屁(へ)ともおもわぬと、ぬかしおった。じつに、無礼(ぶれい→しつれい)せんばん。えーい、きってすてるわ!」
と、刀を抜きました。
「ま、まあ、そう、おおせられずと、どうか、どうか、ごかんベんのほどを」
町の世話役は、ひっしになっでさむらいをとめ、なんども、なんども、頭を土にこすりつけて、いっしょうけんめい、わびをしましたので、やっとのこと、さむらいはしずまりました。
刀をさやにおさめると、太助をにらみつけて、
「えい、この命みょうがの男め。すててはおけぬやつじゃが、世話役の言葉にめんじて、ゆるしてつかわす」
そういって、やっと、さむらいは、帰っていきました。
そのうしろ姿が見えなくなると、世話役は、ホーッと、胸をなでおろして、太助にむかい、しみじみと言い聞かせるのでした。
「のう、太助。これからは、これにこりて、二度と、屁ともおもわぬなどといってはならぬ。おさむらいさまを見たら、屁とおもえよ」
おしまい