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3年生の日本民話(にほんみんわ)
不思議(ふしぎ)なサバ売り
奈良県(ならけん)の民話(みんわ)
奈良(なら)の東大寺(とうだいじ)で、「華厳経(けごんきょう)」というお経(きょう)の話しをする会が、はじめてもよおされることになったときの事(こと)です。
会の日どりは決(き)まりましたが、お話しをしてくれる人をだれにするか、なかなか決(き)めかねていました。
そのとき、天皇(てんのう)が、
「夢(ゆめ)で告(つ)げられた事(こと)だが、朝一番先に寺の門前で出会った者(もの)を、先生にするがよい」
と、お寺につたえてきたのです。
お寺ではそのとおりにする事(こと)にして、その日の夜明けをまちました。
すると、お寺の前を通りかかったのは、魚を入れた大きなザルをてんびん棒(ぼう)でかついだ、サバ売りでした。
(はて、この人に、お経(きょう)の話ができるのだろうか?)
と、思いましたが、とにかく、最初(さいしょ)にお寺の前を通りかかった人です。
天皇(てんのう)の夢(ゆめ)のお告(つ)げですから、だまって見送(みおく)ってしまうわけにはいきません。
老人(ろうじん)を呼(よ)びとめて、わけを話すと、
「と、とんでもねえ。わしはこうして、サバを売ってくらしておるだけの者(もの)じゃ。お経(きょう)の話しだなんて、とてもとても」
サバ売りは、ビックリしていいました。
「それにな、生ぐさい魚は食わねえ坊(ぼう)さんたちにはわかるめえが、サバという魚は、すぐにくさるんじゃ。生きぐされといって、それこそ生きているあいだにも、くさるんじゃ。さあ、ひまをつぶしておるわけにはいかんから、道をあけてくだされ」
「まあまあ、そこをなんとか」
立ち去(たちさ)ろうとするサバ売りを、お寺の人たちはなおもひきとめて、やっとのことで本堂(ほんどう)へつれていきました。
サバ売りは、八十尾(80び)の魚を入れたままのザルを机(つくえ)の上に置(お)きました。
「あんな生ぐさいものを、机(つくえ)の上に置(お)くとは」
集(あつ)まった人たちが、こまった表情(ひょうじょう)をしましたが、ところが不思議(ふしぎ)な事(こと)に、八十尾(80び)のサバはたちまち八十巻(80かん)のお経(きょう)の巻物(まきもの)にかわったのです。
そして口を開(ひら)き始(はじ)めたサバ売りの話を聞いて、人々はビックリしました。
サバ売りは古いインドのお経(きょう)の言葉(ことば)で話しはじめ、とちゅうで話をやめると、机(つくえ)の前から立ちあがって本堂(ほんどう)から出ていってしまったのです。
不思議(ふしぎ)なサバ売りが魚をかついでいたてんびん棒(ぼう)は、回廊(かいろう→長くて折(お)れ曲(まが)った廊下(ろうか))の前につき立ててありました。
その棒(ぼう)からはたちまち枝(えだ)や葉(は)っぱが出て、柏槙(びゃくしん→ヒノキ科の常緑高木(じょうりょくこうぼく))という木になりました。
サバ売りは、仏(ほとけ)さまだったのかもしれません。
こののち、東大寺で毎年三月十四日にひらかれるお経(きょう)のお話会の先生は、このサバ売りにならって、お話しをとちゅうでやめて、本堂(ほんどう)からだまって外へでていくことになったという事(こと)です。
おしまい
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