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3年生の日本民話(にほんみんわ)
地獄(じごく)めぐり
栃木県(とちぎけん)の民話(みんわ)
むかしむかし、日光(にっこう)の寂光寺(じゃっこうじ)というお寺に、覚源上人(かくげんしょうにん)というお坊(ぼう)さんがいました。
ある日のこと、上人(しょうにん)は横(よこ)になって休んだままの姿(すがた)で死(し)んでしまったのです。
でも、上人の体はまるで生きているようにあたたかでした。
たしかに息(いき)もせず、心臓(しんぞう)も止まっているのですが、ふつうの死人(しにん)とは違(ちが)います。
人々はこまってしまい、どうしたものかと考えているうちに、十七日が過(す)ぎてしまいました。
すると突然(とつぜん)、上人がパッチリと目をあけたのです。
上人は、心配(しんぱい)そうに集(あつ)まっていた人々を見まわして言いました。
「どうやら、わしは今まで死(し)んでいたようだな。みなさん、ご心配(しんぱい)をおかけしてすまなかった。実(じつ)はわしは、たった今、めいどの旅(たび)から帰ってきたところなのじゃ。ちょうどよい、みなさんにぜひ話しを聞かせたい」
そう言って上人は、不思議(ふしぎ)な話しを始(はじ)めました。
「ふと気がついたわしは、雲にのってまっ暗(くら)やみの中を、どこまでもどこまでも進(すす)んでいったんじゃ。
すると、ほのおにつつまれた山門(さんもん)があってな、そこには鬼(おに)が立っておった。
これが有名(ゆうめい)な地獄門(じごくもん)だと、わしは思った。
門をくぐると、そこはえんま堂(どう)でな、えんま大王の前には大勢(おおぜ)いの人々がならんでおり、その人々をえんま大王がさばくのじゃ。
一番前の男が、えんま大王の前に引き出されると、こう言った。
『大王さま、あっしはじごくに落(お)ちるようなことは、何もしちゃあいません』
するとえんま大王は、おそろしい声でどなった。
『だまれ! お前はイヌを三匹(3びき)、ネコを六匹(6ぴき)、殺(ころ)したであろう!』
『へい、たしかに。しかし、イヌやネコを殺(ころ)しても、地獄(じごく)へ落(お)とされるんで?』
『当たり前だ! たとえ虫一匹(むし1ぴき)とはいえ、命(いのち)のありがたみは人間と同じ、おもしろ半分で殺(ころ)せば罪(つみ)となる。お前は地獄(じごく)へ行き、五百年間、鉄棒(てつぼう)でうたれつづけるがよい!』
えんま大王がいうと、鬼(おに)たちがやってきて、その男をひきたてていったんじゃ。
『つぎ、前に出い!』
『どうとでも、好(す)きにしろ! 地獄(じごく)行きはかくごの上だ』
『そうか。お前のように反省(はんせい)の色がないやつが、もっともつみが重(おも)い。お前のいくのは黒縄地獄(くろなわじごく)だ。そこで一千年のあいだ、熱(あつ)く焼(や)かれた鉄(てつ)の縄(なわ)で体をしばられつづけるのだ。よし、次(つぎ)!』
こうしてえんま大王は、地獄(じごく)に落(お)ちた人間を次々(つぎつぎ)にさばいていかれてな、とうとうわしの番がきたんだ。
するとえんま大王は、こういったのじゃ。
『覚源(かくげん)よ、お前をここへよんだのは、罪人(つみびと)としてではない。お前も見ておったように、近ごろは地獄(じごく)へ来る人間の数がふえるばかりだ。これは悪(わる)いことをすれば、死後(しご)に地獄(じごく)へ落(お)ちるということを忘(わす)れているからではなかろうかと思ってな。そこで人々に説教(せっきょう)する役目(やくめ)のそなたに、地獄(じごく)のおそろしさをよく見てもらって、ここへくる人間が一人でも少なくなるよう、人々に話してもらいたいのじゃ』
と、いうわけで、わしは地獄(じごく)巡(めぐ)りをすることになった。
地獄(じごく)ではな、どんなに苦(くる)しくても、死(し)ぬことは出来んのじゃ。
たとえ体を切りさかれても、いつの間にか元へもどっていて、永遠(えいえん)に苦(くる)しみがつづくのじゃ。
重(おも)い荷物(にもつ)をせおって、ハリの山をのぼっていく人々。
熱(あつ)い血(ち)の池で、もがき苦(くる)しむ人々。
地獄(じごく)には、そんな人々のさけび声や、うめき声がつづいておる。
『よいか、死(し)んでまでこんな苦(くる)しい思いをすることはない。人間は、こんなところへきてはならんのだ』
と、えんま大王がいうたんじゃ。
『よくわかりました。この覚源(かくげん)、のこる人生をかけて、一人でも地獄(じごく)へ来る人間が少なくなりますように、説教(せっきょう)をつづけましょう』
えんま大王にこう約束(やくそく)して、わしは地獄(じごく)から帰ってきたのじゃ」
その後、上人は一人でも多くの人が地獄(じごく)の苦(くる)しみから救(すく)われるようにと、地獄(じごく)の話を語ったという事(こと)です。
おしまい
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