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3年生の日本民話(にほんみんわ)
どくろのお経(きょう)
和歌山県(わかやまけん)の民話(みんわ)
むかしむかし、紀伊の国(きいのくに→和歌山県(わかやまけん))の山寺に、えらいお坊(ぼう)さんがいました。
里の人たちは、このお坊(ぼう)さんを「紀伊菩薩(きいぼさつ)」とよんでいました。
ある年の事(こと)。
一人の若者(わかもの)がこの菩薩(ぼさつ)さまに、弟子入りを願い出(ねがいで)ました。
この弟子は大変(たいへん)よく働(はたら)きますし、すこしでも時間があれば、いつもお経(きょう)をよんでいました。
そして何年もお経(きょう)をよむうちに、このお坊(ぼう)さんの声はとても美(うつく)しい声となって、里では評判(ひょうばん)でした。
ある日、この若(わか)い坊(ぼう)さんは、師(し)の菩薩(ぼさつ)にいいました。
「私(わたし)はこれから諸国(しょこく)を行脚(あんぎゃ→各地(かくち)を歩いて修行(しゅぎょう)すること)して、仏(ほとけ)の教えをひろめとうございます」
「それは感心(かんしん)な事(こと)じゃ」
師(し)の菩薩(ぼさつ)も、この若(わか)い弟子を心からほめて、寺から送り出(おくりだ)したのです。
さて、それから三年の月日がながれたころ、熊野(くまの)の村に、船大工(ふなだいく→船作りの人)たちがやってきました。
この人たちは木を切って船をつくろうと、山の中に小屋(こや)を建(た)てて、そこで仕事(しごと)を始(はじ)めたのです。
するとどこからともなく、お経(きょう)を読む声が聞こえてきました。
その声は、少しも休むことなく聞こえてくるのです。
「はてさて、なんと美(うつく)しい、おごそかな声じゃろう」
「こんな山の中で、ああも一心にお経(きょう)をよんでおられるとは、とてもすばらしいお方にちがいない」
「ぜひ、お目にかかりたいものじゃ」
と、みんなはおそなえものを持(も)って、山の中をさがして歩きました。
ところが一日中さがしても、その姿(すがた)は見ることが出来ませんでした。
ガッカリして小屋(こや)に帰って来ると、またどこからともなく、お経(きょう)が聞こえてくるのです。
船大工たちは、それから何度(なんど)も山中を探(さが)しましたが、いっこうに姿(すがた)を見つけることは出来ません。
それから半年ほどたって、船大工たちは、また山ヘ入っていきました。
すると、前と同じように、お経(きょう)を読む声が聞こえてくるのです。
「どうも、これは不思議(ふしぎ)なことじゃ」
「なにか、わけがあるにちがいない」
と、またみんなで、山の中をさがして歩きました。
今度(こんど)も声をたよりに歩きましたが、なかなか見つかりません。
「もしかしたら、川の流(なが)れの音が岩山にぶつかって、お経(きょう)のように聞こえてくるのでは?」
「いや、あれはたしかに、お経(きょう)をよまれるお坊(ぼう)さんの声にちがいない」
なおも探(さが)していると、一行はけわしい岩山に出ました。
「おや? あれは、なんじゃ?」
一人の男が指(ゆび)さした方を見てみると、谷底(たにぞこ)のしげみの間に、なにか白いものがあります。
谷ヘおりてそばによってみると、なんとそれはガイコツでした。
死(し)んでから何年もたっているとみえて、もう、白い骨(ほね)が残(のこ)っているだけです。
盗賊(とうぞく)に身(み)ぐるみはがれて、ここへすてられたのか、それとも、オオカミにでもおそわれたのか。
「ああ、気の毒(きのどく)な事(こと)じゃ」
と、みんなで手を合せると、なんとそのガイコツが、大きな声でお経(きょう)をあげはじめたのです。
船大工たちはビックリすると、あわててその場から逃(に)げ帰りました。
それから三年後、船大工の一人が山寺にたちよって、紀伊菩薩(きいぼさつ)にこの話しをしました。
すると菩薩(ぼさつ)は、しばらく考えていましたが、
「その仏(ほとけ)さまをひきとって、手あつくほうむってあげたいのう」
と、さっそく熊野(くまの)の山ヘ出かけたのです。
そして菩薩(ぼさつ)が船大工の小屋(こや)のそばヘきた時、菩薩(ぼさつ)は首をかしげました。
「おお、確(たし)かに聞こえる。しかし、この声には聞き覚(ききおぼ)えが・・・。そうじゃ! この声はわしの寺におって修業(しゅうぎょう)の旅(たび)に出た、あの弟子の声にちがいない」
菩薩(ぼさつ)は案内(あんない)されて谷底(たにそこ)へいってみると、そこにはガイコツはありませんでした。
ただ、ドクロが一つ、ゴロンところがっています。
そしてそのドクロの口の中から、あのお経(きょう)が聞こえてくるのです。
紀伊菩薩(きいぼさつ)も一緒(いっしょ)にお経(きょう)をとなえながら、ドクロの口の中をのぞいてみました。
すると不思議(ふしぎ)な事(こと)に、ドクロの口の中には舌(した)だけがくさらずにまだ残(のこ)っていて、その舌(した)が動(うご)いて、一心にお経(きょう)をとなえていたという事(こと)です。
おしまい
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