2月11日の百物語
蟹ヶ淵(かにがふち)
長崎県の民話
むかし、平戸(→平戸市)の町のはずれには蟹ヶ淵(かにがふち)という深い淵があって、ここには何十年も前から人を襲う主が住みついているとのうわさがありました。
ある日の事、お百姓の三吉(さんきち)の三人兄弟の二番目の子どもが遊びに出たまま、いつまでたっても戻ってきませんでした。
心配した家族が総出で探しましたが、どこを探しても見つかりません。
「まさか、淵に行ったのでは」
三吉が村のはずれの淵に行ってみると、何と子どもの着物が浮いていたのです。
「ああっ、何て事だ・・・」
その着物は、二番目の子どもが着ていた着物でした。
さあ、村中が大騒ぎとなりました。
「あそこにはむかしから、人を食う主がおるというからな」
「きっと、主に食われてしまったに違いない」
やがてその話は、松浦(まつら)の殿さまの耳にまで届きました。
それを聞いた殿さまは、さっそく家来を集めると、
「百姓とはいえ、領地の者は家族も同然だ! いかに淵の主でも、その家族を襲うとは絶対に許せん!」
と、自ら先頭に立って、淵の主退治に出かけました。
そして淵に到着した殿さまは、ふんどし姿で口に刀をくわえると、
「お前たちは、ここで待っておれ」
と、家来や村人たちが引き止めるのを振り切って淵に飛び込んだのです。
みんながハラハラしながら待っていると、やがて殿さまが水の中から顔を出しました。
「ここには、何もおらん。あっちを探すとしよう」
そう言って今度は岸からもっと離れた草がボウボウに生い茂るあたりまで泳いでいって、もう一度 水の中に潜りました。
さて、しばらくすると水面が泡立ち、急に淵の水がにごってきました。
よく見ると、そのにごりは血の色です。
「大変だー! 殿さまがやられてしもうた!」
「殿! いま参ります!」
家来の一人が飛び込もうとした時、水の中から殿さまが元気な姿を現しました。
「おーい。淵の主を退治したぞ! すまんが、引き上げるのを手伝ってくれ」
殿さまの指示で、家来たちがさっそく退治した主を引き上げる事になりました。
ところが、その主が重すぎてなかなか引き上げる事が出来ません。
そこで村人たちも一緒になって何とか引き上げると、それは、たたみ三畳分ほどの大きなこうらを持った大ガニだったのです。
「こうらが固くて刀が通らず、退治するのに苦労をしたぞ」
殿さまはにっこり笑って、家来たちにそう言いました。
その後、この淵で命を落とす者はいなくなり、淵は『蟹ヶ淵(かにがふち)』と呼ばれるようになったそうです。
おしまい