7月3日の百物語
しっぺ太郎
兵庫県の民話
むかしむかし、一人の旅のお坊さんが、ある村を通りかかると、田植え時だというのに、田で働いている者が一人もいないのです。
不思議に思っていると、その村の庄屋(しょうや)さんの家の前に大勢の村人たちが集まって、心配そうに何やらひそひそと話し合っていました。
「はて、なんじゃろ?」
お坊さんが庄屋さんの家に近づいてみると、家の中から若い娘の泣き声が聞こえてきます。
お坊さんは、近くにいた年寄りにたずねてみました。
「何やら大変な事になっておるようじゃが、何事かな?」
「これはこれは、旅の坊さま。
実は庄屋さまの家に、白羽(しらは)の矢が立ったのです」
「矢が?」
よく話を聞いてみると、この村では毎年田植え時になると、十五才になる娘がいる家へ白羽の矢が立つそうです。
そして白羽の矢が立った家の娘は秋祭りの晩に氏神(うじがみ→土地に住む神さま)さまへ人身ごくう(ひとみごくう→人間をいけにえにすること)として差し出す事になっているのです。
なぜなら、差し出さないと次の年は大風が吹いて、村中の作物がみんな吹き飛ばされてしまうからです。
それを聞いたお坊さんは、顔を真っ赤にして怒りました。
「そんな馬鹿な話があるか!
氏神さまと言えば、村の難儀をすくうものと決まっておる。
これは氏神さまの名をかたる、悪い化け物の仕業に違いない」
そしてお坊さんは氏神さまをまつってある山へ一人で登って行くと、鳥居のかげにそっと身を隠して夜のふけるのを待ちました。
やがて真夜中になると、どこからか生臭い風が吹いてきて、黒い物がお堂の前に浮かび上がりました。
「あれは、一体?」
お坊さんが目をこらしながら見ていると、その黒い物は薄気味悪い声で歌いながら踊りだしました。
♪でんずくばんずく、すってんてん。
♪この事ばかりは、知らせんな。
♪丹波の国へ、知らせんな。
♪しっぺえ太郎さ、知らせんな。
やがて夜が明けると、黒い物はどこかへ消えてしまいました。
「消えたか。
あの化け物は、『しっぺえ太郎さ、知らせんな』と言っていたな。
すると化け物の弱点は、『しっぺ太郎』か。
これは丹波(たんば→京都と兵庫のさかい)の国へ行って、しっぺえ太郎とやらを探さねば」
お坊さんは村へ戻ると、庄屋さんに言いました。
「氏神さまの名をかたる化け物の弱点は、丹波の国のしっぺ太郎であるらしい。
わしが丹波の国へ行って、秋祭りまでにはしっぺえ太郎とやらを連れて来るから、どうか気を落とさずに待っていなさい」
お坊さんは丹波の国へ行くと、出会う人、出会う人に、しっぺ太郎の事をたずねました。
「すまんが、しっぺえ太郎というお人を知らんかな?」
しかし何百人、何千人に聞いても、しっぺ太郎を知っている人はいませんでした。
そうこうしているうちに、とうとう秋祭りの前日になりました。
「これだけ探しても、見つからんとは。それにもし見つかっても、今から間に合うかどうか」
お坊さんが肩をがっくり落としながら道ばたに座り込んでいると、向こうから牛の様に大きな黒犬が、のっそりのっそりとやって来ました。
そしてそのすぐ後から、お寺の小坊主がやって来て言いました。
「しっぺえ太郎。しっぺえ太郎。早く戻って来い!」
それを聞いたお坊さんは、飛び上がって喜びました。
「そうか。しっぺえ太郎とは、この黒犬だったのか」
小坊主に黒犬の事を聞くと、お寺で飼っている犬だと言います。
お坊さんは、さっそくお寺に駆け込んで、和尚(おしょう)さんに頼み込みました。
「これこれこういうわけだから、どうかしっぺえ太郎を貸してくだされ」
「ええとも、ええとも。確かにしっぺえ太郎なら、化け物の一匹や二匹退治してくれるだろう。さあ、時間がないのなら、しっぺえ太郎に乗って行きなされ」
お坊さんがしっぺえ太郎に乗ると、しっぺえ太郎は風の様に走り出しました。
一方、庄屋さんの家では、何のたよりもないお坊さんの事はあきらめて、なくなく娘に白むくの着物を着せて、白おびに白たびをはかせ、家の前には白木(しらき)の長持(ながもち→衣服・調度などを入れて保管したり運搬したりする、長方形でふたのある大形の箱)を用意していました。
そこへお坊さんが、牛の様に大きな黒犬に乗って帰って来たのです。
「遅くなって、すまなかった。この黒犬が、丹波の国のしっぺえ太郎じゃ」
お坊さんは娘が入る予定の長持の中へしっぺえ太郎を入れると、庄屋さんに言いました。
「さあ、化け物退治に出かけるぞ」
大勢の村人たちが、しっぺえ太郎の入った長持をかつぎあげて、鐘や太鼓を打ち鳴らしながら山の氏神さまへ登って行きました。
そして氏神さまへ着くと、村人たちはお堂の前に長持を下ろして、我先にと逃げ帰りました。
お坊さんは鳥居のかげに隠れて、化け物が現れるのを今か今かと待ちました。
しばらくして、生臭い風が吹いたと思うと、あの黒い化け物が現れました。
♪でんずくばんずく、すってんてん。
♪この事ばかりは、知らせんな。
♪丹波の国へ、知らせんな。
♪しっぺえ太郎さ、知らせんな。
化け物は飛び跳ねる様にして、長持の回りを踊ります。
そして踊り終わると、長持のふたへ手をかけました。
「今だ、しっぺえ太郎!」
お坊さんがそう言うと、長持のふたがバン!と、跳ね上がって、中からしっぺえ太郎が飛び出しました。
しっぺえ太郎と化け物は一つにからみ合って、転げ回りながらうなり声をあげて戦います。
そのうなり声は一晩中続き、村まで聞こえてくるうなり声に村人たちは震え上がりました。
やがて東の空が明るくなってくると、あれだけの騒ぎがピタリとおさまりました。
庄屋さんと村人たちが、恐る恐る山の氏神さまへ登って行きました。
氏神さまの所へ来てみると、お堂の前に年老いた大ザルが、のどを噛み切られて死んでいました。
そのそばに傷だらけのしっぺえ太郎が、息をあらげて横たわっています。
お坊さんも気が抜けた様に、鳥居のかげに座り込んでいました。
「ああ、ありがてえ、ありがてえ」
庄屋さんと村人たちは大喜びして、しっぺえ太郎とお坊さんを村へ連れて帰りました。
そして、しっぺえ太郎とお坊さんを手厚くもてなすと、頭を下げてお願いしました。
「お坊さまとしっぺえ太郎は、この村の恩人です。どうぞ、いつまでもこの村へ留まってくだされ」
しかしお坊さんとしっぺえ太郎は元気を取り戻すと、丹波の国のお寺へと帰っていったそうです。
おしまい