12月22日の百物語
待ちきれずに
京都府の民話
むかしむかし、京の都の五条堀川(ごじょうほりかわ)に、八郎兵衛(はちろべえ)という米屋がいました。
八郎兵衛には宗一郎(そういちろう)という十六才になる息子をはじめ、十人の子どもがいましたが、奥さんは十人目の子どもが生まれて間もなく、病気でなくなってしまいました。
ある時、八郎兵衛は子どもたちに留守を頼むと、二日がかりで大津(おおつ→滋賀県)まで出かける事になりました。
「留守をしっかり頼んだぞ。貧乏米屋で取られる物などないが、夜の戸締りをきちんとな」
八郎兵衛は一番上の宗一郎によく言い聞かせて、大津へと出かけました。
八郎兵衛がいなくなったので、留守を預かる宗一郎は夜になると近所の子どもたちを家に呼んで、みんなで百物語を始めました。
百物語とは、怪談話を一話ずつしながら百本のロウソクを一本ずつ消していく肝試しですが、宗一郎の家には百本ものロウソクなどありません。
そこで集まった子どもたちは、ロウソクの代わりにあんどんの灯で百物語を始めました。
怪談話が次々と語られて行くうちに怖くなった子どもたちは次々と帰ってしまい、八十話が過ぎる頃には近所の子どもばかりではなく、宗一郎の弟たちも他の部屋へ行って、震えながらふとんをかぶって寝てしまいました。
残っているのは、宗一郎だけです。
(あと十数話で、百になったのに)
百話目が終わった後、どんな事が起こるかと楽しみにしていた宗一郎はがっかりです。
宗一郎は仕方なく、自分も寝ようと部屋を出て行こうとしました。
すると後ろから白くて細い手が伸びてきて、いきなり宗一郎の足首をつかんだのです。
宗一郎は、びっくりです。
「な、なっ、何者だ!」
すると急に部屋の中で生暖かい風が巻き起こって、目の前に赤ちゃんを抱いた若い女が現れました。
「百物語が終わるのを待っていましたが、どうやら百まで語られそうもないので出て来ました。
わたしはこの近くへ嫁に来た者で、あなたの家でお米を買った事もあります。
実は五年前、わたしはお産の途中で、この子と一緒に死んでしまいました。
けれども、誰もわたしたちをとむらってはくれません。
だから今だにこうしてこの子を抱いたまま、暗闇の中をさまよっているのです。
どうか、わたしたちが成仏出来る様に、千部(せんぶ)のお経をよんでください」
話しを聞いた宗一郎は気の毒だと思いましたが、けれども千部のお経をよむのは大変な事です。
「話しはわかりましたが、そんな事はとても出来ません。
わたしの家は貧しい米屋で、まだ小さな者がたくさんいます。
そのめんどうを見たり、家や店の仕事もあります。
千部のお経をよむひまなど、とてもありません。
ですが毎日、母に念仏をとなえていますので、それと一緒では駄目でしょうか?」
宗一郎の言葉に、赤ちゃんを抱いた女の幽霊は首を横に振りました。
「いいえ。成仏するには、千部のお経でなければ駄目なのです。
・・・あの、それではそこにある柿の木の根元を掘り返して下さい。
そこには、わたしが少しずつたくわえたお金があります。
それを差し上げますから、どうか千部のお経をよんでください。
お願いです」
そう言うと、赤ちゃんを抱いた女の幽霊は姿を消してしまいました。
次の日、父親の八郎兵衛が帰って来ると、宗一郎はすぐに昨日の話しをしました。
そして父親と二人で柿の木の根元を掘ってみると、本当にお金が出て来たのです。
とは言っても、お金はとてもわずかで、暮らしの足しなどにはなりませんが、八郎兵衛親子はそのお金をありがたく頂くと、不幸せに死んだ若い母子の為に、お店を休んで千部のお経をよんでやりました。
この事があってからか、八郎兵衛の米屋はとてもはんじょうして、やがてこの辺りでは一番大きな米屋になったという事です。
おしまい