きょうの日本民話
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2008年 10月2日の新作昔話
成相観音(なりあいかんのん)
京都府の民話
むかしむかし、丹後の国(たんごのくに→京都府)のある山寺で、一人の坊さんが修行をしていました。
ここはとても雪の降る土地なので、山寺は深い雪に閉じ込められてしまいました。
持ってきた食料はしだいに少なくなり、村におりて食料をもらおうと思っても、雪が深くて外に出る事もできません。
しかたなく坊さんは、一心にお経をとなえていました。
はじめのうちはがまんしていたのですが、何も食べないで十日もたつうちに、もう立ち上がる気力もなくなってしまいました。
本堂のすみに座ったまま、とぎれとぎれに、お経をとなえるばかりです。
春も近いというのにこの深い雪のせいで、ただ死を待つばかりです。
そこで本堂の正面にある観音さまに、手をあわせてお願いしました。
「なむ観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。ただ一度、観音さまのお名前をとなえただけでも、いろいろとお願いをかなえてくださると聞いております。わたしは長い年月、観音さまをおがんでおりますのに、その観音さまの前で、もうすぐ飢え死にしようとしています。観音さま、わたしは高い位やお金をお願いしているのではございません。ただ食料を、・・・一日の命をつなぐだけの食料を、どうかおめぐみくださいませ」
そう一心にお祈りしてから、ふと、むこうを見ました。
すると本堂のすみのこわれているところから、外の雪景色が見えて、そこに何か横たわっている物が目にはいりました。
「おや、なんだろう?」
坊さんは、はうようにして本堂を出ると、その横たわっている物のそばによってみました。
それは、オオカミに食い殺されたシカでした。
(こんなところに、シカとは。・・・ありがたや。これこそ、観音さまからさずかった物だ)
坊さんは最後の力をふりしぼるようにして、立ち上がりました。
しかしふと心の中に、こんな考えが浮かんできました。
(自分は長い間、仏の道を修行してきた。仏の道につとめる者は、どんなことがあっても肉を食べてはいけないことになっている。もしこの教えを破れば、地獄、餓鬼、畜生の三悪道に落ちると聞いている。仏の道を修行している者が、たとえ飢え死にしようと、どうして肉を食べることができよう)
坊さんはそう思って、一度は思いとどまりました。
しかし、目の前にあるシカの肉を見て、どうしてもがまんが出来ません。
(ああ、もうどうなってもかまわない。たとえ死んだ後、どんな罰を受けようとも、このまま苦しみながら飢え死にするよりは、食べた方がましだ)
そう決心すると、坊さんはシカの左右のももの肉を切り取り、なべに入れて煮ることにしました。
そしてガツガツと、けもののようにその肉を食べたのです。
その味は、いままで食べたどんなごちそうよりも、素晴らしいものでした。
しかし食べ終えたとたん、坊さんは声をあげて泣き出しました。
仏の道にそむいた事が、とても悲しかったのです。
さて次の日、坊さんはお寺の方に近づいてくる足音と話し声に気づきました。
「このお寺にこもって修行していたお坊さんは、どうしておられるだろう?」
「雪に閉じ込められて、食べ物がなくなったのではないか?」
それを聞いた坊さんは、急にあわてだしました。
(そうだ、シカを煮たなべを、隠さなくては・・・)
そう思いましたが、あわてるばかりで、何をどうしていいのかわかりません。
なべの中を見ると、食べ残した肉がそのままでした。
(これを見たら、村の人たちは何というだろう。『坊さんがシカの肉を煮て食べた』と、いいふらすにちがいない。修行している者にとって、こんなはずかしいことはない)
坊さんは、ただうろうろするばかりです。
そのうちに村の人たちが、本堂の中に入ってきました。
「おおっ、ご無事で何よりでした」
「今年の冬の寒さは、格別でしたな。このお山は、大変だったでしょう」
村の人たちはそんなことを言いながら、荒れ果てた本堂の中をぐるりと見まわしました。
そしてその中の一人が、すみにあったなべを見つけたのです。
なべの中をのぞきこんだとたん、
「あっ、これは!」
と、大声でさけびました。
みんなおどろいて、いっせいになべの中をのぞきました。
なべの中には、シカの肉が・・・。
いいえ、なべの中には、細かく切り刻んだ木が入っていたのでした。
なべのまわりには、木を食い散らしたあとがあります。
「おお、いくら食べる物がないといっても、よくまあ、こんな木のきれはしを食べられたものだ」
「木を食べて、この冬を越されていたとは、なんとも、おいたわしいことよ」
坊さんは村人の言葉を聞きながら、訳がわからずに呆然としていました。
すると今度は、本堂の正面の方にいた人が大声をあげました。
「これは、もったいない事を!」
村人たちが、いっせいに振り返るとどうでしょう。
正面におかれた木で作った観音さまの像が、左右のもものところを、大きく削りとられているではありませんか。
「ひどいことをなさるお坊さんじゃ。これは、あんまりじゃ」
「木を食べるなら、柱でも食べたらよいのに。よりによって、大切なご本尊を食べるなんて」
村人たちの言葉に、坊さんはご本尊を見あげました。
たしかに村人たちのいう通り、観音さまの左右のももが、えぐりとられています。
坊さんは思わず、ご本尊に手をあわせました。
(ああ、本堂の外に倒れていたシカは、本当は観音さまだったのだ。それも、このわたしを助けてくださるために。なむ観世音菩薩。ありがたや、ありがたや)
坊さんは心をこめてお祈りをすると、村人たちに今までの話を語って聞かせました。
すると聞いていた村人たちも、観音さまのありがたさに、思わず手を合わせました。
語り終わった坊さんは、もう一度、観音さまの像にむかって、うやうやしく手を合わせると、
「おかげさまで、命も心も助かりました。これが最後の願いです。どうか元の姿に戻ってくださいませ」
と、心を込めてお祈りしました。
すると不思議なことに、みんなの見ている前で観音さまのけずりとられたももが、きれいに元の姿に戻ったのです。
この事があってから、この観音さまを成合(なりあい)観音というようになりました。
『成り合う』という言葉には、『完全に出来上がる』『願いが必ず叶う』という意味があるのです。
そしてお寺の名前も、成合寺(成相寺)と呼ぶようになり、今でも多くの人が訪れているのです。
おしまい
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