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百物語 第六十三話
雄ジカの目
むかしむかし、ある山里に、ひとりの侍が、母親と召使いの三人で、わびしくくらしていました。
その侍は、えらく狩りずきで、まい日のように弓矢をもっては、山にでかけていきます。
そして、鳥やウサギやイノシシなどをしとめると、とくいげにかえってきては、母に見せるのでした。
母親は、狩りばかりしているむすこのことをあんじていいました。
「おまえはすこし、生きものを殺しすぎではないか。母は、このごろなにやら、生きものがあわれでならんのじゃ」
しかし、侍は母親のことばなどには、耳をかそうとしません。
親がいえばいうほどうるさがって、いっそう、山へでかけることがおおくなったのでした。
いまでは、母親もむすこをいさめる気力もなくなり、病の床につくようになってしまいました。
むすこが、いつも家をあけているので、母の世話は、召使いの娘がしています。
母がねているへやには、古い床の間があって、そこには代々つたわってきた、かけ軸が一本かかっています。
これは、都にいたご先祖さまが、たいそうえらい方からいただいたものだそうで、雄(おす)ジカが一頭、力つよい筆で、みごとにかかれていました。
こっちをジッと見つめる、そのシカの目は、やさしさといっしょに、あやしく光っていて、まるで生きたシカの目のようでした。
貧乏で、多くのものは売ってしまいましたが、母はこの雄ジカのかけ軸だけは、むすこがなんといおうと、けっして手ばなそうとはしなかったのです。
ある日のこと、むすこはいつものように、山へでかけていきました。
ところがその日は、山じゅうかけめぐっても、なに一つとれません。
むすこは、あせりはじめました。
だが、あせればあせるほど、えものはとれません。
もう、日はくれかかって、あたりの山やまは、暗くなりはじめます。
するとそのとき、遠くのほうで、なにやらキラキラ光るものが見えました。
「はて、なんだろう。こんな山おくに。・・・もしかしたら、妖怪のたぐいかもしれんぞ!」
むすこは、矢を弓につがえ、光りものをジーッとねらうと、
ビューン!
「よし、しとめた! たしかに手ごたえはあった。さていったい、なにものを射とめたのだろう」
たしかめたいと思いましたが、もう、あたりはまっ暗です。
「しかたない。あすにしよう」
と、山をおりてきました。
侍が家につくと、いきなり召使いの娘が走りよってきて。
「母上が、母上がお苦しみです。はやくおへやへ」
「えっ」
侍が、いそいでへやのほうへゆくと、ただならぬうめき声がきこえます。
「母上! 母上! お気をたしかに」
サッと、ふすまを開けてへやに入ると、そこには母のすがたはなく、ただ、ねまきだけがぬぎすててあります。
「? ・・・はっ、これは!」
ふと、床の間に目をうつしたとたん、侍はブルブルと、身ぶるいしました。
そこにかけてあった軸の雄ジカの目に、じぶんの射た矢が、つきささっているのです。
そして、その美しい目から、まっ赤な血がふきこぼれているではありませんか。
「母上! 母上! だれかおらぬか。これ、だれか!」
家の中をむちゅうでさがしまわりましたが、母親のすがたも、また、さぎほどまでいた召使いの娘のすがたも、見つけることはできませんでした。
侍はただひとり、やぶれはてた家の中に、魂がぬけたように、立ちつくすばかりでした。
おしまい
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