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百物語 第二話
耳なし芳一
むかしむかし、下関(しものせき→山口県)に、阿弥陀寺(あみだじ→真言宗の寺)というお寺がありました。
その寺に、芳一(ほういち)という、びわひきがいました。
芳一は、おさないころから目が不自由だったために、びわのひき語りをしこまれて、まだほんの若者ながら、その芸は師匠の和尚(おしょう)さんをしのぐほどになっていました。
阿弥陀寺の和尚さんは、そんな芳一の才能(さいのう)を見こんで、寺にひきとったのでした。
芳一は、源平(げんぺい)の物語を語るのが得意で、とりわけ壇ノ浦(だんのうら)の合戦のくだりのところでは、その真にせまった語り口に、だれ一人、涙をさそわれない者はいなかったそうです。
そのむかし、壇ノ浦で源氏と平家の長い争いの、最後の決戦がおこなわれ、戦いにやぶれた平家一門は、女や子どもにいたるまで、安徳天皇(あんとくてんのう)として知られている幼帝(ようてい)もろとも、ことごとく海の底にしずんでしまいました。
この悲しい平家の最後の戦いを語ったものが、壇ノ浦の合戦のくだりなのです。
ある、むしあつい夏の夜のことです。
和尚さんが法事で出かけてしまったので、芳一は、一人でお寺にのこってびわのけいこをしていました。
そのとき、庭の草がサワサワと波のようにゆれて、縁側(えんがわ)にすわっている芳一の前でとまりました。
そして、声がしました。
「芳一! 芳一!」
「はっ、はい。どなたさまでしょうか。わたしは目が見えませんもので」
すると、声の主は答えます。
「わしは、この近くにお住まいの、さる身分の高いお方の使いの者じゃ。殿が、そなたのびわと語りを聞いてみたいとお望みじゃ」
「えっ、わたしのびわを?」
「さよう、やかたへ案内するから、わしのあとについてまいれ」
芳一は、身分の高いお方が、自分のびわを聞きたいと望んでおられると聞いて、すっかりうれしくなって、その使いの者についていきました。
歩くたびに、ガシャッ、ガシャッと、音がして、使いの者は、よろいで身をかためている武者だとわかります。
門をくぐり、広い庭を通ると、大きなやかたの中に通されました。
そこは大広間で、大勢の人が集まっているらしく、サラサラときぬずれの音や、よろいのふれあう音が聞こえていました。
一人の女官(じょかん→宮中に仕える女性)がいいました。
「芳一や、さっそく、そなたのびわにあわせて、平家の物語を語ってくだされ」
「はい。長い物語ゆえ、いずれのくだりをお聞かせしたらよろしいのでしょうか?」
「・・・壇ノ浦のくだりを」
「かしこまりました」
芳一は、びわを鳴らして語りはじめました。
ろをあやつる音。
ふねにあたってくだける波。
弓鳴りの音。
兵士たちのおたけびの声。
息たえた武者が、海に落ちる音。
これらのようすを、しずかに、もの悲しく語りつづけます。
大広間は、たちまちのうちに壇ノ浦の合戦場になってしまったかのようです。
やがて平家の悲しい最後のくだりになると、広間のあちこちから、むせび泣きがおこり、芳一のびわが終わっても、しばらくはだれも口をきかず、シーンと、静まりかえっていました。
やがて、さっきの女官がいいました。
「殿もたいそう喜んでおられます。よいものをお礼に下さるそうじゃ。されど、今夜より六日間、毎夜そなたのびわを聞きたいとおっしゃいます。明日の夜も、このやかたにまいられるように。それから寺へもどっても、このことはだれにも話してはならぬ、よろしいな」
「はい」
次の日も、芳一はむかえにきた武者について、やかたにむかいました。
しかし、昨日とおなじようにびわをひいて寺にもどってきたところを、和尚さんに見つかってしまいました。
「芳一、いまごろまで、どこでなにをしていたんだね?」
「・・・・・・」
「芳一」
「・・・・・・」
和尚さんがいくらたずねても、芳一は約束を守って、ひとことも話しませんでした。
和尚さんは、芳一がなにもいわないのは、なにか深いわけがあるにちがいないと思いました。
そこで寺男(てらおとこ→寺の雑用係)たちに、芳一が出かけるようなことがあったら、そっとあとをつけるようにいっておいたのです。
そして、また夜になりました。
雨がはげしくふっています。
それでも芳一は、寺を出ていきます。
寺男たちは、そっと芳一のあとを追いかけました。
ところが、目が見えないはずの芳一の足は意外にはやく、やみ夜にかき消されるように、姿が見えなくなってしまったのです。
「どこへいったんだ?」
と、あちこちさがしまわった寺男たちは、墓地へやってきました。
ビカッ!
いなびかりで、雨にぬれた墓石がうかびあがります。
「あっ、あそこに!」
寺男たちは、おどろきのあまり立ちすくみました。
雨でずぶぬれになった芳一が、安徳天皇の墓の前でびわをひいているのです。
その芳一のまわりを、無数の鬼火がとりかこんでいます。
寺男たちは、芳一が亡霊(ぼうれい)にとりつかれているにちがいないと、力まかせに寺へつれもどしました。
その出来事を聞いた和尚さんは、芳一を亡霊から守るために、魔除けのまじないをすることにしました。
その魔除けとは、芳一の体中に経文(きょうもん)をかきつけるのです。
「芳一、おまえの人なみはずれた芸が、亡霊をよぶことになってしまったようじゃ。無念の涙をのんで海にしずんでいった平家一族のな。よく聞け。今夜はだれかがよびにきても、けっして口をきいてはならんぞ。亡霊にしたがった者は命をとられる。しっかり座禅(ざぜん)を組んで、身じろぎひとつせぬことじゃ。もし返事をしたり声をだせば、おまえはこんどこそ、殺されてしまうじゃろう。わかったな」
和尚さんはそういって、村のお通夜に出かけてしまいました。
さて、芳一が座禅をしていると、いつものように亡霊の声がよびかけます。
「芳一、芳一、むかえにまいったぞ」
でも、芳一の声も姿もありません。
亡霊は、寺の中へ入ってきました。
「ふむ。・・・びわはあるが、ひき手はおらんな」
あたりを見まわした亡霊は、空中に浮いている二つの耳を見つけました。
「なるほど、和尚のしわざだな。さすがのわしでも、これでは手が出せぬ。しかたない、せめてこの耳を持ち帰って、芳一をよびにいったあかしとせねばなるまい」
亡霊は芳一の耳に、冷たい手をかけると、
バリッ!
その耳をもぎとって、帰っていきました。
そのあいだ、芳一はジッと座禅を組んだままでした。
寺にもどった和尚さんは、芳一のようすを見ようと、大いそぎで芳一のいる座敷へかけこみました。
「芳一! 無事だったか!」
じっと座禅を組んだままの芳一でしたが、その両の耳はなく、耳のあったところからは血が流れています。
「お、おまえ、その耳は・・・」
和尚さんには、すべてのことがわかりました。
「そうであったか。耳に経文を書きわすれたとは、気がつかなかった。なんと、かわいそうなことをしたものよ。よしよし、よい医者をたのんで、すぐにもきずの手当てをしてもらうとしよう」
芳一は両耳をとられてしまいましたが、それからはもう、亡霊につきまとわれることもなく、医者の手当てのおかげで、きずもなおっていきました。
やがて、この話は口から口へとつたわり、芳一のびわはますます評判になっていきました。
びわ法師の芳一は、いつしか『耳なし芳一』とよばれるようになり、その名を知らない人はいないほど、有名になったということです。
おしまい
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